Category Archives: 平成25年度版しおり

平成25年度版しおり

意見陳述書

特定非営利活動法人ひょうご被害者支援センタ一

尾 松 智 子

 信吾が亡くなってから一ケ月。二階の部屋からは信吾の声や足音が不意に響いてくるような気がします。階段の下から何度「信吾」と大きな声で叫んだか知れません。お母さんの文句をいつも言っているくせに、すぐその後にも「お母さん」と何度となく電話を入れる典型的な一人っ子の甘えん坊だったように思います。  初めての保育園のお泊り会。自然学校やキヤンプ。私が淋しくて時間ぎりぎりに送って行ったこともありました。当の本人はそんな私の気持ちも知らずに、喜んで友達の輪の中へ。親から離れ自立していく信吾を見ていて、嬉しいやら淋しいやら複雑な気持ちでした。その時でさえ信吾と出来ることなら一緒について行きたかった。その信吾ともう二度と話せないし、会えない。一生お母さんと呼んでもらえることも出来ません。又、信吾と一緒に付いて行ってやることも許されません。私自身の両親に、この同じ辛い思いだけは味わわせることは出来ません。何度かふと、電車に飛び込んだら…と思うのですが、主人や周囲の人々の励ましで何とか、この一ケ月、一日一日過ごすことが出来ました。 read more »

平成25年度版しおり

今私にできること

清 水 恵 子

 『直は結婚してもずっとお母さんと一緒に暮らす。お母さんが歳をとっておばあちゃんになったら今度は直が面倒見るでね。長生きしてよ。』と言ってくれたのは、事件の数ヶ月前のことでした。  中学生になってもこんなに優しい、可愛いことを言ってくれる娘でした。
 たった13年という短い人生でしたが、私の娘として生まれてきてくれたと、娘が私たち家族にくれた幸せ、残してくれた暖かい心は今も私の心の中に生きています。しかし、事件現場となってしまった建物も取り壊され、事件が風化していってしまうのを感じます。
 平成18年4月19日、朝いつものように「行ってきま一す!」と学校のジャージにリュックを背負い、元気に走っていった姿が最後でした。
 私のかけがえのない大切な娘は、たった一人の少年の身勝手な思いで、一瞬に、残虐に、全てを奪われました。私たち家族の幸せも、将来も、普通の生活も、何もかもが奪われました。かわいい笑顔、笑い声、私たち家族にくれた優しさ、楽しかった思い出。どれを思い出しても悲しくなってしまうばかりです。 read more »

平成25年度版しおり

犯罪被害者遺児となりて

(公)被害者支援都民センター

佐 藤 咲 子

●事件の概要

 犯罪被害の心の傷に苦しみつつ今年の12月で46年目になります。
 「エッ?46年前の事件の事ですか?」と遠い過去のように言わないでください。
 昭和39年12月18日、強盗目的、計画的殺人により両親は散弾銃で撃たれ、犯人の自己の欲望という不法暴力により、何ひとつ抵抗出来ず、限りある命を全うする事なく命を奪われた両親の無念さが “血の出る叫び”として私の胸に突き刺さり伝わります。
 衝撃を受けた15才の私の生き方も、この世に不用な存在、生きる価値無い者と投げ出された心に支配され、真に喜びを得る事のない、無気力で目的を持てない生き方でした。
 15才で両親を失ったので未成年後見制度が適用され、血族に頼るもので、公的支援・援助も無く、まして心のケアすら考えられぬ時代、犯罪被害の傷と向き合って生きて来ました。しかし加害者は手厚い保護の下で、不公平な税金の使われ方の理不尽さに押し潰されそうな歩みでした。
 ”その歳でまだ拉くのか?”と心ない言葉に何故涙が流れるのか自分でもわからず…。しかし心は悲鳴を上げSOSを発していたのです。被害者支援都民センターに助けを求めました。 read more »

平成25年度版しおり

苦しみを乗り越えて光ある場所へ

公益社団法人被害者サポートセンターおかやま

匿 名

 私は、母親の再婚相手である義父から15年に渡って性被害にあっていました。とはいえ、一番最初の被害はいつ頃からか、というのは実は後から懸命に記憶を辿ってようやく思い出しただけで、その詳細についてはあまり覚えていません。小学校の高学年頃に胸を軽くタッチされたような記憶がぼんやりとあるのみです。
 はっきりと嫌悪感をもって記憶に刻み込まれているのは中学生になってからです。学校の送り迎えの車の中で服の中に手を入れられて触られました。羞恥心と言いようのない生理的嫌悪感で頭の中はぐちゃぐちゃでした。でも、私が嫌がって義父を怒らせてしまえば再婚相手である母親の立場が悪くなってしまう、私は良い子でいなくちゃいけない、何よりこんな恥ずかしいことは誰にも言えるものではない、という思いから私は黙って耐えるしかありませんでした。
 本当に毎日が生き地獄で、ずっと死にたい殺してほしいと思いながらも死ねない日々でした。  14歳で初めてレイプされ、その後18歳と25歳で義父の子を妊娠して中絶をしていく中で、次第に自分で現状をどうにかして逃げようという気持ちはなくなっていきました。
 そんな生きながらにして死んでいるような私の人生で、現在の夫との出会いは私に一筋の光を与えてくれました。 read more »