Category Archives: 平成23年度版しおり

平成23年度版しおり

被害者が望むこと

~被害者のために動く行政であって欲しい~

匿     名

 私の長女は通り魔に襲われ瀕死の重傷を負わされました。
 それまで、私は事件や事故についてテレビや新聞等で、その内容を知るだけでしたが、実際に自分が被害者家族という立場になるまで、被害者の置かれている状況や向き合っている現実がこんなに厳しいものとは想像もできませんでした。
 私の長女は、平成18年9月の深夜、会社の勤務を終え帰宅の途についていたところ、札幌市内の自宅付近の路上において、突然知らない男に刃物で切りつけられ、頭や背中、右肩及び前腕部等に大けがを負わされ、入院62日間の生活を余儀なくされ、治療は全治1年を超える長期に及ぶものでした。
 事件から2か月後、やっと犯人は逮捕され長女はもちろん、家族、町内の方、地域みんなで安堵しました。 read more »

平成23年度版しおり

事件への思いと「さくらの会」に寄せて

社団法人熊本犯罪被害者支援センター 自助グループ「さくらの会」

米 村 州 弘

 私の二女、智紗都が事件に遭ってこの世界からいなくなったのは、  2003年9月26日です。20歳の成人式を迎える前の短い生涯でした。本当に智紗都にとって短かすぎて悔いの残る一生だったと思います。
 しかし、8月からアパートで一人暮らしを始め、ほんの数ヶ月間でしたが、楽しい時間を過ごせたと思っています。なぜなら、私たち家族や友人たちに「今が一番楽しい!」「幸せ!」といつも言っていたからです。
 智紗都を絞殺した加害者は15年という懲役刑を受けましたが、私たち夫婦はそれだけでは納得できず、少しでも加害者が幸せにならぬようにとの思いで民事裁判を起こしました。約1億円という額を勝ち取ることができましたが、自己破産した加害者にとって何の役にも立たないのは分っていました。しかし、それでも加害者を許すことができなかったのです。民事裁判での勝訴は、一生加害者を拘束するための勝訴でした。 read more »

平成23年度版しおり

人間としての尊厳

社団法人被害者サポートセンターおかやま 自助グループ「もえぎいろの会」

佐 藤 恵 子

 何げのない日々、ささやかな暮らしの中で僅わずかな幸福感を感じながら私達は生きている。あの日まで、私はそんな暮らしだった。
 だが突然、何の前ぶれもなく事件や事故は襲いかかってくる。秋葉原事件や八王子事件はあまりに痛ましい。
 時を選ばず、人を選ばず、どれほど人望ある人も、花の未来がある人も、使命を持った人も、積み上げ築いたものを木っ端ぱ微塵に打ち砕かれてしまう。 そして残された遺族達は絶望を突きつけられる。こんな情け容赦のない国なのでしょうか日本は…!
 平成16年4月20日  私は我が命より大事な一人息子を失なった。この日が息子の生命を奪われる日になるとは予想もできないことだった。
 事故は朝の出勤時に発生。家を出て30分と経たぬものだった。事故の報を受け病院に駆けつけた。だがすでに息子の息は無かった。これは現実じゃーない。きっと夢の中なんだと。息子は処置室の寝台の上で寝息をたてているように安眠していた。長年の睡眠不足を補うかのようにいびきまで聞えそうだった。後のち、聴かされた凄惨な事故の報告と息子の寝顔とは一致しないものだった。 read more »

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奪われた「夢」

和氣みち子

 「行ってきま~す。」私達家族が最後に聞いた娘(由佳)の声でした。
 あれから7年が経とうとしていますが「ただいま~。」の声は聞くことができません。平成12年(2000年)7月31日午後7時頃、真夏の非常に暑い日、病院での老人介護の仕事を終え、家族の待つ自宅に帰る途中、栃木県さくら市蒲須坂の国道4号線で、泥酔した飲酒・居眠運転の大型トラックに正面衝突され命を奪われました。
 人生の希望に燃えていた、わずか19歳と8ヶ月でした。
 朝、元気に出て行った由佳が、病院のベッドの上に傷だらけで横たわり、冷たくなっていくら呼んでも返事をしてくれません。未だにその姿が瞼に焼き付き忘れることはできないのです。この時から、人ごとと思っていた「犯罪被害者」になり、一生、被害者をやめることができなくなりました。やめることができたらどんなに幸せでしょうか。 read more »

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「被害者支援」の必要性

(公)被害者支援都民センター

糸 賀 美 恵

 ひきこもり、自殺願望のある元交際相手の女性に、道連れにしようと当時25歳の長男を刺殺された遺族です。
 事件後、眠れない、食べる事ができない、外にも出られない。自分が犯罪者であるかのように家に引きこもる日が数カ月続きました。外に出られるようになってからも人目を避ける生活でした。
 事件から1年間は、息子が亡くなったということ自体理解できず、声をかけてくれる私の友人や息子の友人にも本当の苦しさを話すこともできず、事件の事では「孤立」した生活が続きました。
 人前では笑顔でいなければならないという思いがありましたが、家に帰ると、寂しさ、悲しさ、悔しさに押しつぶされそうな毎日でした。
 その後の刑事裁判では、被告人の弁護士や被告人の親にもさらに傷つけられ、あまりの苦しさに、息子のところへ行きたい…と車のヘッドライトめがけて道路に飛び出した事もありました。 read more »

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突然、息子を奪われて

(公)被害者支援都民センター

成 宮 和 子

 平成16年5月31日、10トントラックの運転手が急激な左旋回による左折の際、サイドミラーによる後方確認を怠ったため、大学へ向かうため原付バイクに乗っていた息子はトラックの前輪に巻き込まれ、即死しました。
 考えてもみなかった息子の死。自責の念にばかりかられ、加害者への憎しみより喪失感の方がはるかに強く、人生の敗者のレッテルを貼られたような気持ちになりました。「いったい息子は何のためにこの世に生を受け、今日までがんばって生きてきたのか。」
 センターの初めての面談で、私のように突然犯罪被害者遺族になった者は、自分を責め、加害者に対する怒りより、かけがえのない家族を失った悲しみの方が強いのは当たり前だと教えられ、受け止めてもらえたとき、事故直後は特に麻痺した感情が出てくるんだと驚いたと同時に、私だけがおかしいのではないと強く思いました。 read more »

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10回目のお盆を迎えて

江 角 由利子

 1999年12月26日、鳥取大学3年生だった二女・真理子達が乗った車に、飲酒運転の暴走車が反対車線にはみ出して正面衝突するという交通事故に遭遇してから、はや、10回目のお盆を迎えました。犠牲となったのは、真理子一人ではありません。同じフォークソング部だった仲間の大谷知子さん、大庭三弥子さんと3人一緒に亡くなったのです。また、同乗していたMさんも怪我をし、体にも心にも傷を負いました。3人の夢は21世紀に生きてかなえる事が出来なかったのです。
裁判はあっけなく3 回で終わり、3年の実刑判決でしたが、到底、遺族の納得がいくものではありませんでした。
それから10年、全国の遺族の血の滲むような努力の結果、今日のような法律の改正や裁判員制度や、被害者支援が行われ、時代は大きく変わっていきました。 read more »

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私のお兄ちゃん

菊 地 利 佳

 「明日が来ることは、奇跡なんだ…。」
 お兄ちゃんを失って、初めて気付いた。
 リカには、5歳離れたお兄ちゃんがいた…。  一瞬にして、兄という存在を奪われた。
 そう、恐ろしい交通事故という犯罪で…。
 「行って来ます。」お兄ちゃんが家族に告げた最後の言葉だった。
 まさか、そんな事故が起きるとは思わなかった。
 だから、その日の朝はお兄ちゃんと話す事もしなかった。
 今になっても、お兄ちゃんの「ただいま。」を待ち続けている。
 リカは、これ以来、学校に行く時も、遊びに出かける時も、「行って来 ます。」と言えなくなってしまった。
 お兄ちゃんとリカが、笑って泣いて過ごせた時間はたったの10年間 だった。 read more »