犯罪被害者遺児となりて

(公)被害者支援都民センター

佐 藤 咲 子

●事件の概要

 犯罪被害の心の傷に苦しみつつ今年の12月で46年目になります。
 「エッ?46年前の事件の事ですか?」と遠い過去のように言わないでください。
 昭和39年12月18日、強盗目的、計画的殺人により両親は散弾銃で撃たれ、犯人の自己の欲望という不法暴力により、何ひとつ抵抗出来ず、限りある命を全うする事なく命を奪われた両親の無念さが “血の出る叫び”として私の胸に突き刺さり伝わります。
 衝撃を受けた15才の私の生き方も、この世に不用な存在、生きる価値無い者と投げ出された心に支配され、真に喜びを得る事のない、無気力で目的を持てない生き方でした。
 15才で両親を失ったので未成年後見制度が適用され、血族に頼るもので、公的支援・援助も無く、まして心のケアすら考えられぬ時代、犯罪被害の傷と向き合って生きて来ました。しかし加害者は手厚い保護の下で、不公平な税金の使われ方の理不尽さに押し潰されそうな歩みでした。
 ”その歳でまだ拉くのか?”と心ない言葉に何故涙が流れるのか自分でもわからず…。しかし心は悲鳴を上げSOSを発していたのです。被害者支援都民センターに助けを求めました。 ●支援センターが癒しの場

 「長年封印した悲しみを話す事で心が癒されるのですよ」と支援員の方に教えて頂き、月1回の会で事件の概要をくり返し話す事と、同じ心の傷を共有する方々と一緒という安心感で安らぎの場を得ました。
 支援員の温かいお心を頂いております。命日には “千の風を大切に”、ご両親の冥福をお祈り致します、とお葉書を頂き、決して溶ける事はないと思っていた心の奥の氷河が溶けるのを感じています。

●センターの重要性

 法の整備がされたとしても、人の心を癒すのは、心の温もりであるからです。心の癒しを見守る愛のバトンタッチがとぎれる事なく引き継がれます事を心から願います。