意見陳述書

特定非営利活動法人ひょうご被害者支援センター

匿 名


 2010年10月29日、あの日から私の時間は止まったままです。
 1日も涙の枯れる日はありません。
 毎朝仏壇に手を合わせることから、一日が始まります。
 19歳と359日、圭祐は星になってしまいました。
 例えが悪いかもしれませんが、ナイフで一刺しで殺される方がいくらか苦しまずに死ねただろうと思います。そしてその方が、凶器があるので、犯人は殺人罪として、重く処罰されたのではないでしょうか。
 今回圭祐は、長時間の暴行で、どれだけの痛みと恐怖を感じたことでしょう。運ばれた病院で10時間、激しい出血と苦しみに耐えて、それでも傷害致死という罪で終わらされてしまいました。これほど納得のいかないことはありません。
 「殺す気がなかった」なんて、誰でも言うでしょう。でも、被告らのしたことは、頭と顔だけを殴り、蹴るという、あまりにもひどいことでした。周りにいた者が、「死んでしまう。やりすぎ。やばい。」と思っていたのに、それでも暴行し続けた被告らは、傷害致死罪という罪で裁かれていますが、圭祐の受けた苦しみを考えると、単なる殺人罪よりも、もっと重い罪を犯したとしか思えません。 2  
 病院で見た圭祐の顔は、まるで別人でした。
 鉄パイプかバットか何かで殴られたんだと思い、足がふるえました。でも、素手だったと聞き、人が素手で殴って、あそこまでなるのかと疑うくらい、悲惨な状態でした。
 そんな圭祐の姿を見て、腰が抜けてしまい、一人で歩けなかったことだけは覚えています。
 肺にたまった血が、咳き込むたびに口と鼻から吹き出て、それを吸引するびんが血でいっぱいになり、苦しそうに体を硬直させながら吸引される姿に、替われるものなら替わってやりたいと心から思いました。
 そんな苦しんでいる状態なのに、「圭ちゃん」と呼んだら弱々しい力で手を握り返してくれて、生きよう、生きたいんだと頑張る思いを強く感じました。
 圭祐と、こうして手をつなぐのは、いつ以来だろう。
 後に看護師さんから、「意識がなくてもしっかり耳は聞こえてます。お母さんの声に答えてくれて、圭祐くん、親孝行ですね。」と言われました。それなのに助けてあげられなくて、本当にごめんなさい。
 「一度壊れた脳は二度と元に戻らない。全滅に近い脳を治療するのは不可能です。」と医師から聞かされた時は、残酷すぎて受け入れられませんでした。寝たきりになっても、話せなくてもいい。生きてさえいてくれたら、それでいいから、命だけは助かって欲しいと祈っていました。
 モニターの数値が不安定になると共に、握り返す手の力もなくなり、時々大きく、「フーッ」とはき出していた息もなくなり、横にいても何もしてやれず、治療されることなくただ死んでいくのを待つことしかできない無力さに、本当にやるせない思いでいっぱいでした。
 15時07分、圭祐の体から全ての器具が外され、眠っているだけの状態になりました。一度も意識が戻ることなく、言いたいことも一言も言えず、一人で旅立って行きました。助けを求めたのに見つけてあげられなくてごめんね。助けてあげられなくて、本当にごめんね。司法解剖後、家に連れて帰ってから告別式が終わるまで、ずっと圭祐の両目から、血混じりの涙が流れていました。
 痛くて苦しかった涙、悔しくてもっともっと生きたいと思った涙、そしてたくさんの友達が会いに来てくれてうれしかった涙、大好きな家に帰って家族と過ごせたほっとした気持ちの涙、たくさんの思いがつまった涙だったのでしょう。
 次男が泣きながら涙をふいてやっていた姿を思い出すと、今でも涙が止まらなくなります。
 被告とその家族には、圭祐と私たちが苦しんだのと同じ思いをさせたいです。
 死刑にできるなら、同じだけの暴行を同じだけの時間受けて死なせてほしいです。  我が子を失う辛さを、被告の母親にも知ってほしいです。
 そして、被害者や家族がこんな理不尽な思いをする日本の法律を考え直してほしいです。加害者が未成年なら、被害者の圭祐も未成年です。将来ある未成年です。人生で一番楽しい時、一番すてきでいられる時、そして成人式に出席することを本当に楽しみにしていたのです。
 今の法律は、加害者であっても未成年であるだけで、将来のためと守られるのです。でも、被害者の圭祐には、もう未来はありません。
 成人式に圭祐に着せようと思っていたスーツを、次男が、「2年後の自分の成人式で着るから」と言ってくれました。「そのスーツじゃないとあかんねん。」と・・・。


 亡くなって6日後の11月4日、圭祐の20歳の誕生日。高校時代の、専門学校時代の、そして小学校時代からの地元の友達がたくさん集まって、にぎやかに祝ってくれました。バースデーソングをみんなで歌って、お酒で乾杯してくれました。「成人式、一緒に行こうなぁ」と約束もしてくれました。
 圭祐が亡くなって知ったこと。男女問わずたくさんの友達がいたこと。「圭ちゃん優しかったなぁ」とみんなが言ってくれたこと。そして何より、「「お母さんにはいつも心配かけて悪いと思ってる」と圭祐がいつも言ってたよ」と友達が教えてくれたこと。生前圭祐とはよくぶつかり合いました。子育ての大変さに悩み続けました。でもいつも圭祐は、ちゃんと本音で向き合ってくれました。私には何でも遠慮なくぶつけてくれました。「たくさん回り道したけど、しっかり育てたって自信持てばいいよ」と私の友人は言ってくれました。この事件の、「圭祐が無理に連れ回した」という間違った報道と、それに対する心ない言葉に、本当に傷つきました。
 事件から3日間、ほとんど寝られず、それでもしっかり圭祐を送ってやろう、来てくださる方にも失礼のないように頑張ろうと、薬を飲んでお通夜、告別式を勤めた私に、「気丈な母親」とか「女の子を連れ回す息子を重荷に感じていたからいなくなってほっとしたんじゃないか」など、とても冷たい、残酷な言葉を向けられました。
 感情の表し方なんて人それぞれだし、泣きくずれて倒れなくても、私の心は圭祐を失ったことでボロボロに折れていました。今でも元に戻らないで、折れたままです。告別式で圭祐を送る時よりも、病院で看取るときの方が、ずっとずっと辛かったことを知ってほしかったです。
 このような思いをすることを二次被害というのだそうです。他にも知ってる人に会うのが怖くて、近所で買い物ができなくなったり、長期間仕事に行けなかったりもしました。何よりつらかったのは、誰から手に入れたのか、圭祐の写真を勝手に出され、あることないこと記事にされ、プライバシーなんて全く無視されました。それに圭祐がまだ病院で苦しんでいる時に、私たちの知らない間に何の許可もなく大きく報道されたことは、とても悲しいことでした。
 なのに被告は、人を殺しておきながら、未成年であるというだけで、顔も名前も公表されず、大切に大切に守られるのです。  このように私たちは、被害者なのにまるで悪いことをしているかのように扱われて、大きなストレスをたくさんかかえました。息子を失うだけでも充分に辛いのに、まだこれでもかというくらいに、たくさんの辛さが襲ってくる。
 「二度と私たちのような思いをする人が出ない世の中になることを願う。」こんな事件が起きるたびに、繰り返される言葉です。本当にそうです。子供を失う親の気持ちなんて、実際にそういう目にあった人にしか分からないのです。特に母親は、苦しい出産を経験してようやく出会えた我が子。そんな大切な大切な我が子を失う苦しみは、一緒に死にたいと本気で思うくらい苦しいことなのです。
 でも私が死んだら、年老いた両親に迷惑をかける。そして、次男を苦しませる。  何より死ぬ強さもない。自分の無力さと喪失感で毎日毎日泣くことしかできませんでした。


 四十九日を終えて職場に復帰するも、駅までのバスは皮肉にも事件現場のすぐ手前を曲がるのです。毎朝バスの中で、涙がこぼれていました。この道通って連れて行かれたのかなと考えると胸がドキドキして、苦しかったし、今でもまだ朝のバスは辛いです。
 そんな思いをよそに現場にいながら捕まらなかった少年たち、逮捕されるも釈放された者たちは、平然と事件前と変わらない生活を送っていることに、又、その親たちも何の謝罪もなく、普通に暮らしていることに、暴行しなくても現場にいて、誰一人止めなかったことも充分罪になるはずなのに「どうしてなの」と、理不尽な思いだけが今も残り続けています。
 この事件の被害者は私たち家族だけではありません。圭祐の友人の一人は、事件のショックで不眠症になり、仕事にも行けず、心療内科で治療を続けています。
 もう一人の被害者である○君は、大きな後遺症を負い、それでも「圭ちゃんを助けられなかったのが何よりの後悔」と言ってくれています。
 本当にたくさんの人の人生を狂わせた被告を許すことはできません。被告からの手紙には、「社会に戻ったら」という文面が、何度も書かれてありました。人の命を奪っておきながら、被告は自分が社会に戻ることばかりを考えているのかと思うと、腹立たしい気持ちにしかならず、全く心に響きませんでした。
 事件後私たち家族は、多くの友人に助けられ、心の支えとなってもらいました。
 今までこれほど人のあたたかさを感じたことはありません。とても心強く、本当にありがたかったし、今もずっと見守ってくれています。
 また、NPO法人ひょうご被害者支援センターのみなさんにも大変お世話になっています。
 そして今回、加害者や現場にいた他3人が、圭祐と同じ中学出身であることで、地域の皆さんもとても怒っておられます。こうして力になってくださる方がたくさんいてくれることに心から感謝しています。


 最後に圭ちゃんへ
 19年という短い一生ではあったけど、たくさんの思い出をありがとう。母としてしんどい時期もあったけど、今となったら楽しいことしか思い出せません。
 圭祐は思い立ったら一人で決めて、すぐに行動するタイプ。だから今はしばらく遠くに行っているだけと思っています。
 2階の圭祐の部屋は、そのままおいてあります。まだ圭祐のにおいが残っています。野球部のユニホームも高校の制服も大好きだった白いジャージもかけてあります。そして時々、物音がします。大好きな部屋に帰って来ているのでしょう。
 姿は見えないけど、部屋で音がしたら、「圭ちゃんおかえり。」と言ってるの聞こえてますか。
 圭祐が帰ってくるのをみんな楽しみに待ってるからね。
 私たちの家族でいてくれて、本当にありがとう。