平成26年8月から警察庁長官官房給与厚生課長として(27年1月から4月までの間は犯罪被害者支援室長事務取扱)、27年9月からは同総務課長として、国外犯罪被害弔慰金制度の創設と犯罪被害者等施策の国家公安委員会への事務移管に関わった。犯罪被害者支援室の職員はもとより、これらの労を取られた皆様方に改めて感謝申し上げつつ、当時を振り返ることとしたい。
平成16年に犯罪被害者等基本法が制定されて以降、我が国の犯罪被害者等施策は大きな進展を遂げ、地方公共団体における犯罪被害者等施策も着実に進んできたといえる。私は、平成30年4月から令和2年4月までの約2年間、法務省(東京地方検察庁)から警察庁に出向し、犯罪被害者等施策担当参事官として勤務させていただいたが、この間にも、地方公共団体において、犯罪被害者等に適切な情報提供等を行う相談窓口(総合的対応窓口)の設置が進み、平成31年4月までに市区町村を含む全ての地方公共団体に設置されたほか、全国の地方公共団体において、犯罪被害者等の支援に特化した条例を制定する動きが広がった。
私は、平成26年度、27年度の2年間にわたり検察庁から内閣府に出向した。当時、内閣府の政策統括官(共生社会担当)に犯罪被害者等施策推進室が置かれ、その担当参事官を務めることとなったのだ。犯罪被害者等施策推進室の室長には、内閣府訓令により共生社会政策担当の大臣官房審議官が充てられ、同審議官以下、参事官1名、常勤職員5名の体制がとられていた。平成26年4月当時、犯罪被害者等施策推進室は、霞が関の中央合同庁舎4号館にあったが、その年の夏、新しく整備された中央合同庁舎8号館に移転した。日常の事務を行いながらの引越し作業は、職員にとっても結構な負担であったが、新庁舎において清々しい気持ちになったことをよく覚えている。
私は、警察において犯罪被害者支援等を冠したポストを経験することは無かったのであるが、平成25年2月から平成27年1月までの間、警察庁長官官房審議官として、犯罪被害者支援も担当することとなり、犯罪被害者等施策推進会議専門委員に任命され、犯罪被害給付制度における親族間犯罪被害に対する支給特例の拡大や国外犯罪被害者遺族弔慰金支給法案への対応等の業務に従事した。そうした縁で今回、本記念誌に寄稿させていただくこととなったものである。
私は、「20年誌」ではその企画編集に携わりつつ、今日の被害者支援の出発点となった平成3年の「10周年記念シンポジウム」から13年の犯罪被害者等給付金支給法の全面改正までを中心に書かせていただき、「30年誌」では13年改正を再度振り返りつつ、その後筆者が関わった被害者施策、特に山形県警察本部長を務めていた時に手がけた全国初の緊急貸付制度や、全国3番目で、被害者支援についても盛り込んだ「飲酒運転防止条例」、そして私の離任後に実現を見た、全国3番目の特化条例である「山形県犯罪被害者支援条例」を中心に書かせていただいた。