被害者参加制度により裁判に参加したのがきっかけとなり、娘の理不尽な死と向き合い、悲しみ、苦しみと葛藤しながら命の大切さをたくさんの人に訴えるため、各地で講演活動を行っておられます。清水様のお話をお聞きいただき、その心情や被害者が置かれた現状に深く思いを馳せ、心のこもった支援活動につなげていただきたく思います。
かねてから、たとえば「犯罪白書」のような統計や数字にあらわれてこない「被害後」のことを社会に伝えなくてはならないと常々思っていたからだ。刑法犯全体含め、少年犯罪は減少傾向にあることはまちがいない。しかし、「被害後」のことはケースによって異なり、とても集計できるようなものではない。
クラシックバレエの練習からの帰り道、突然の雨で迎えに来た母の車に乗り込んだ直後、前方から乗用車が激突。石黒さんはフロントガラスを顔で突き破り、反動で車内へ戻された。救急搬送先の病院で顔面を540針、口の中を260針も縫う7時間の大手術。かろうじて一命を取りとめたが、両眼網膜剥離で失明、両耳は難聴、顔面は粉砕骨折、さらに記憶喪失、言葉も失っていた。誰もが石黒さんの前途を悲観したが、ただ一人、石黒さんの母だけは諦めなかった。
事件当時は、青森県には支援センターがなく、付き添いなど直接的支援も行われていない時代。青森から横浜の警察、検察、裁判所へと何度も通った山内ご夫妻。関係先での被害者への対応は厳しく、いつも孤独で心細い思いをしていたという。そんな中、法廷では裁判長が最初に加害者に「あなたにとって不利なことは言わなくてもよい」と言ったが、この言葉は被害者遺族にとって「とても辛い」。山内さんは裁判を公正に行うためにも「あなたは真実を述べなさい」と迫れる法律の制定を訴えた。
世間の好奇の目と、自分も狙われるとの不安で4年間も、家の中に閉じこもる生活が続いた。