毎日のように犯罪被害者等は生まれています。その犯罪被害者等は、事件、事故の内容がそれぞれ異なり、同じ事件の家族であっても一人一人向かって行く方向や考え方、行動が違います。今回は、私個人の体験・経験、感じたこと、今後の支援に対しての意見等を伝えたいと思います。ご参考にしていただければ幸いです。
30年前の平成2年10月11日夜11時50分、警察からの一本の電話で私たち家族は地獄の底を這いずり回る毎日となりました。被害者支援という発想も相談場所も人もいない日本に絶望し、アメリカの被害者支援団体MADD(Mothers Against Drunk Driving:飲酒運転に反対する母の会)に助けを求めました。直ぐに送られてきた小冊子には「深い悲しみは狂気を感じるが、これは正常な反応。」と書かれていました。安堵する一方で“喪失体験から年数が経てば懐かしく想い出すことができる”との内容があり、そんな日に戻れる訳がないのに、と強い憤りも感じました。しかし今はその意味が分かったような気がします。追い詰められ混乱する被害者の実状を更にご理解いただけますよう、当時の日記も交えて振り返りつつ記してみます。
「支援者がしたい支援をしないでください。被害者が望む支援をしてください」 私の仲間が、支援者たちが集う会場で発した言葉です。 この言葉を皆さんはどのように受け止めるでしょうか?
平成30年度全国被害者支援ネットワーク設立20周年記念にあたりお祝いを申し上げます。また、めざましい発展をされたことに敬意を表したいと思います。 私は18年前にある日突然犯罪被害者となった。その心情等や今後期待したいことを述べさせていただく機会をいただきましたので述べさせていただきます。
22年前、16歳の時、同じ16歳の見知らぬ少年たちにいわれのない因縁をつけられ、何度も謝っているにもかかわらず、追いかけられ一方的な暴力で殺されました。私は、自分の息子が、まさかこんなことで親より先に死んでしまうなど思ってもみませんでした。それまで私は少年犯罪のニュースを見ていても、かわいそうだなぁとか大変だなぁとか、他人事としてしか考えていなかったのです。