毎日のように犯罪被害者等は生まれています。その犯罪被害者等は、事件、事故の内容がそれぞれ異なり、同じ事件の家族であっても一人一人向かって行く方向や考え方、行動が違います。今回は、私個人の体験・経験、感じたこと、今後の支援に対しての意見等を伝えたいと思います。ご参考にしていただければ幸いです。
日本の犯罪被害者支援は、犯罪被害者等給付金の支給等の経済的側面からの支援に加え、電話相談や面接相談等の精神的側面からの支援も行われるようになった。他方、弁護士が、本格的に犯罪被害者支援活動に注目するようになったのは、平成9年(1997年)4月に日本弁護士連合会が犯罪被害回復制度等検討協議会を設置し、犯罪被害者支援のための諸施策の検討を開始したのが始まりである。
欧米には、人々が直面する肉体的、社会的、精神的な様々な困難に対処し、問題の解決に当たる旨を神に向かって誓い(Professus・ラテン語)、そのような使命を果たすべく神からお呼び出しを受け(Vocation。職業の意味がある。Voice の語源)、神に代わって職業として人々の困難に対処し、問題の解決にあたる一群の者を専門職(Old)Profession 注1と位置づける文化がある。
犯罪被害者等支援活動のこれまでの歩み及びその成果は、“十年一昔”といえるほどその充実・進歩には目を見張るものがある。それに伴い刑事司法手続の改革も驚くほどのスピードで行われたのであった。1998(平成10)年に犯罪被害者等支援活動の総本山とも言える全国被害者支援ネットワークが設立された。その後全国各地に被害者支援センターが相次いで設立され、今日では全国47都道府県に被害者支援センターが設立され、各センターで相談、支援活動が日夜行なわれているのである。本稿では刑事司法の場における犯罪被害者等支援について述べる。
30年前の平成2年10月11日夜11時50分、警察からの一本の電話で私たち家族は地獄の底を這いずり回る毎日となりました。被害者支援という発想も相談場所も人もいない日本に絶望し、アメリカの被害者支援団体MADD(Mothers Against Drunk Driving:飲酒運転に反対する母の会)に助けを求めました。直ぐに送られてきた小冊子には「深い悲しみは狂気を感じるが、これは正常な反応。」と書かれていました。安堵する一方で“喪失体験から年数が経てば懐かしく想い出すことができる”との内容があり、そんな日に戻れる訳がないのに、と強い憤りも感じました。しかし今はその意味が分かったような気がします。追い詰められ混乱する被害者の実状を更にご理解いただけますよう、当時の日記も交えて振り返りつつ記してみます。