日本での被害者支援活動は新しい分野であったため、支援に携わる人たち皆さんが最初からその理念を理解し、支援スキルを持っていたわけではない。被害者から電話相談を受けて共感し、傾聴するという姿勢の支援だけでは被害者には不十分だった。
犯罪被害者相談室(以下、相談室と略称)の活動が充実して行く中で、全国各地から同様の組織を近くに作ってほしいという声が寄せられるようになった。それとともに、相談室の活動目標も、単に被害者の電話相談に応じ、或いは面接相談やカウンセリングを通して犯罪被害者の心情、実情を知り、可能な支援をするという所期の目標を超えて、この活動を全国に広め、アメリカ等で行われているような早期直接的支援に進化させたいという思いが強まってきた。
歩道を歩いていた長男が飲酒運転の車に轢き逃げされて亡くなった。まだ18才だった。 警察からの知らせに「友達の車にでも同乗していたのかな?たいした怪我でないので大丈夫」と根拠もなく自分に言い聞かせ、がたがた震える体でバッグにパジャマ類を詰め込み、大急ぎで病院に向かった。救急室に入ったとたん「お母さん遅かった…」と看護師さんから言われ、一瞬何のことなのか分からず立ち尽くした。現実を突きつけられ「どうして、なんで、うそ…、イヤー…」と泣き叫ぶしかなかった。ただただ悲しくて可哀想で涙が溢れ、入院用にと準備してきたティツシュはあっという間に無くなった
筆者は当時、東京医科歯科大学難治疾患研究所において、司法精神医学を専攻する精神科医(助教授)であった。主な研究課題は、犯罪と犯罪者の精神医学的研究と、精神障害の状態で犯罪行為に及ぶ者(触法精神障害者)の再犯防止策の研究であった。後者は、日本の刑法の制度的欠陥に起因する課題であり、犯行当時責任無能力の状態にあった精神障害者は罰しないと定めながらその後の処遇についての規定が無く、そのため釈放して、一般の精神病者処遇施設に収容することでその代用としてきたが、戦後、精神科病院の開放化が進む中で、その代役を果たせなくなっていた。
平成29年度版の『犯罪白書』(1)によると、わが国の犯罪発生率は、凶悪犯も含め、平成8 年から14年までは増加傾向にあったが、15年に減少傾向に転じて以来、減少傾向の一途を辿り、毎年戦後最低を記録している。とはいえ、残念ながら、いわれのない犯罪被害を受ける人々は絶えない。犯罪被害者等(以下、「被害者等」という。被害を受けた者の他、その家族、遺族を含む。)は、従来、犯罪に巻き込まれても、十分な支援を受けられずに社会で孤立することが多く、その権利・利益が保護されることが少なかった。しかし、こうした被害者等の置かれた理不尽な現状に対して、誰しも犯罪の被害を受け得る以上、被害者等に対して支援の手を差し伸べるべきであるという声が1990年代後半から高まり、とりわけ「全国犯罪被害者の会」(あすの会)という被害者等の自助グループによるロビー活動等の積極的な立法運動が展開された。