犯罪被害者等支援活動のこれまでの歩み及びその成果は、“十年一昔”といえるほどその充実・進歩には目を見張るものがある。それに伴い刑事司法手続の改革も驚くほどのスピードで行われたのであった。1998(平成10)年に犯罪被害者等支援活動の総本山とも言える全国被害者支援ネットワークが設立された。その後全国各地に被害者支援センターが相次いで設立され、今日では全国47都道府県に被害者支援センターが設立され、各センターで相談、支援活動が日夜行なわれているのである。本稿では刑事司法の場における犯罪被害者等支援について述べる。
30年前の平成2年10月11日夜11時50分、警察からの一本の電話で私たち家族は地獄の底を這いずり回る毎日となりました。被害者支援という発想も相談場所も人もいない日本に絶望し、アメリカの被害者支援団体MADD(Mothers Against Drunk Driving:飲酒運転に反対する母の会)に助けを求めました。直ぐに送られてきた小冊子には「深い悲しみは狂気を感じるが、これは正常な反応。」と書かれていました。安堵する一方で“喪失体験から年数が経てば懐かしく想い出すことができる”との内容があり、そんな日に戻れる訳がないのに、と強い憤りも感じました。しかし今はその意味が分かったような気がします。追い詰められ混乱する被害者の実状を更にご理解いただけますよう、当時の日記も交えて振り返りつつ記してみます。
本年令和3(2021)年は、犯罪被害者等給付金支給制度が施行されてから40年、また、民間の被害者支援が具体化される大きなきっかけとなった「犯給制度発足10周年記念シンポジウム」開催から30年という節目の年に当たる。この機会に、私の目から見た被害者支援の進展を、被害者の法的地位の向上、中でも、刑事手続における被害者の参加の拡充という視点から若干の感想を述べさせていただきたい。
日本における民間の犯罪被害者支援活動は、1992年4月に東京医科歯科大学の山上皓教授が自らの研究室で犯罪被害相談室を創設されたことから始まりました。今年30年目を迎え、これまでの犯罪被害者支援活動を振り返りますと誠に感慨深いものがあります。
2019年3月15日、県議会に上程された「三重県犯罪被害者等支援条例」(以下「条例」という。)が全会一致で可決され、翌月1日、施行されました。私は、三重県警察からの出向として、条例が採決される1週間前に現在の所属に着任し、条例制定を熱望されていた犯罪被害者ご遺族の方と採決の場に立ち会うことが、着任後の私の最初の仕事でした。