あれから3年・・・
公益社団法人くまもと被害者支援センター
coffee aid 2021
Y・F
「犯罪被害者の声 第16集」より
普通のじいさんになりたかった・・・
息子は、Sは、2019年7月9日、コーヒー豆の焙煎中に生豆を運んできた運送会社のトラックと焙煎所の壁に挟まれて死んでしまいました。
運転手のブレーキとアクセルの踏み間違いにより、急発進したトラックに頭をつぶされて、即死の状態だったと聞いております。
熊本の高校を卒業したあと東京の大学に進学し、雑誌にも載るような有名な東京のカフェでアルバイトをしたのが、息子のコーヒーとの関わりの始まりでした。
大学を卒業してからも、普通の会社員になることなくコーヒーを淹れ続け、コーヒー豆の焙煎もしておりました。
普段の生活はといえば、始発電車で店に入り、開店準備と朝のトレーニング、店を閉めてはトレーニングをして終電で帰ってきておりました。
休日には都内のコーヒーショップを巡るという、本当にコーヒー漬けの毎日でした。
そして、東京のカフェで働くバリスタの女性と結婚することを約束し、東京での仕事に区切りがつけば、一緒に熊本に帰って、生まれ育った熊本の地でカフェと焙煎所をオープンさせることにしていました。
事故は、そんなことを具体的に計画し始めた矢先の出来事でした。
私が、息子と最後に会ったのは、彼が亡くなる半年以上も前の秋でした。
その時はY市にあるカフェに2人で行ったことは覚えてはいますが、彼の淹れたコーヒーを味わって飲むこともなく、彼とは将来の夢について話すこともありませんでした。
息子とは、いつでも会える、いつでも話せると思っておりました。
息子が、どんな思いで熊本の地に帰ってこようとしていたのかは、今となっては周りの人たちから聞くだけで、あの時もっと話しておけばよかった、彼が淹れたコーヒーをもっと味わって飲んでおけばよかった。
今となっては、後悔だらけです。
そんな私たちでしたが、亡くなった息子が熊本でやろうとしていたことだから、そして亡くなって、月日とともに忘れ去られていく息子を見たくないから、カフェと焙煎所をオープンすることにしました。
ですから、「CalmestCoffeeShop」は、私たちの店ではなく息子の店でもあるのです。
その店は、2020年5月7日、コロナで大変だった時期でしたが、その日が亡くなった息子の30歳の誕生日なので、ほぼ悩むこともなく、この日にオープンすることにしました。
そして、早いもので3年目に突入しました。
あの時、事故にさえ遭わなければ・・・
コーヒーに関する経験もなく、知識もないまま始めて、今では、コーヒーを淹れている姿が「渋い!」とか言われ、「へーっ、歳よりも若い!」とおだてられ、私が焙煎しているコーヒーを「これが一番おいしい!」と褒められる毎日となりました。
お客様から「私もあなたみたいに生き生きと老後を過ごしたい、うらやましいですね。」と言いながら孫の話をされる。
何が・・・
私は、顔はニコッとし、「そうですね~」と答えてはいますが、最愛の息子を殺されて、息子の生きてきた証を残すために続けている店です。うれしいはずがある訳ないじゃないですか。
こちらから言わせてもらえば、そんな普通の人生を送っているあなたがうらやましいんです。
なぜ、親が子供の遺志を継がなければならないのですか?
「東京に出さんで、熊本でお父さんみたいに公務員になっとけば、こんなことにはならなかったのに・・」と言われたこともありました。
息子は、東京で精一杯生きておりました。彼は、自分でバリスタという道を選んで、誇りを持って働いておりました。
彼は、コーヒー漬けの毎日に何の悔いもなかったと思います。
そんな彼の生きてきたことを否定するようなことを平気で言わないでください。
「加害者も悪意があった訳ではないので・・」と言われたこともありました。
そうなんです、裁判でも「過失事件」として裁かれており、加害者も「つい、うっかり、ブレーキとアクセルを踏み間違えてしまいました。すみません。」と言っているから、悪意はなかったとなっております。
私は、この事件は悪意のある故意ではないということは理解しているつもりですが、そうであるにしても、大切な息子を殺された親としては、決して加害者を許すことはありません。
そんな気持ちを逆なでするようなことを軽々しく言わないでください。
「最初はきついかもしれないが、最後は金だよ、多額の賠償金をもらってニコッとさすとたい・・・」
私たちも賠償金はもらいました。
簡単に手に入れられるような額ではありません。
息子の命の値段はこんなものなのか!
お金はいらない息子を返してくれ!
そのようなお金を自分たちのために使えるはずがありません。
私たちはそのお金を元手に「coffee aid」という事業を立ち上げ、コーヒーを通じた遺族への支援を行うことにしております。
私は、遺族の心情を周りの人たちに分かっていただきたいと思っていますし、ちょっとした言葉が、傷ついた心に塩を塗り込むような悪意のある言葉に変わってしまうことを理解してほしいと思っております。
あの、息子が亡くなったあの日から、私たち家族の生き方が大きく変わりました。
朝は飲んでもくれないコーヒーを息子に淹れて、夜は仏壇の中の息子と酒を酌み交わしながら、傍から見たら生き生きとしたカフェのマスターとして働いております。
息子が亡くなって早3年を迎えようとしていますが、3年もたったのだから現実を受け入れて、自分が変わっていく以外にはないということは頭では分かっています。
でも、あの時から何も変わっていないのです。息子が死んでから自分を取り巻く環境だけが変わって、カフェのマスターとして生かされ続けていますが、私の気持ちは何も変わっていないのです。
心に空いた穴を埋めることはできません。
Sにしてきたように、孫のおむつを替えたかった・・・