亡き息子への想い
公益社団法人ぎふ犯罪被害者支援センター
匿 名
「犯罪被害者の声 第16集」より
私の息子は、加害者らから、何か月にもわたって金属棒などで殴る蹴るの暴行を受け、一日一食だけしか食事を与えられず骨と皮だけにやせ細り、虐待の末に亡くなりました。ゲームのように命をもてあそばれた末に亡くなったのです。25歳という若さでした。
何の非もない息子が殺害されて、私たち遺族は地獄に突き落とされました。3年前、息子が亡くなってから私の時計の針は止まったままです。涙が枯れることは一日もありません。今も、亡くなった息子に手を合わせることから一日が始まります。
幼い頃に言葉が遅かった息子を、大切に大切に育ててきました。妻と離婚したこともあり、寂しい思いをさせないよう、不自由させないよう、気をくばりながら育てました。そんな大切な息子を私から奪った加害者らは、裁判が始まっても無罪を主張するだけで、自分の責任を認めることもなく、反省の態度もなく、一度の謝罪の言葉もありませんでした。
息子は、どれだけの痛みと恐怖の生き地獄を味わったことでしょう。さぞ無念だったことでしょう。それを思うと私は苦しくて、辛くて、言葉で表わせないほどの苦しみを感じます。
息子が心肺停止で病院に運ばれたと連絡を受け、駆け付けた病院で、医師から「心拍が戻り、意識が戻っても、脳に障害が残る可能性がある」と言われました。「今なら体のぬくもりが残っているので触ってあげて下さい」と言われ左腕を触ると、骨と皮だけのやせ細った腕でした。そして、信じられないぐらいの大きなやけどの痕、無数の傷とアザ…目を疑いました。足のすねなどは、骨が陥没しているかのように見えました。足の指の爪が何本かなく、虐待のすさまじさが解りました。
息子の顔や身体は、まるで別人でした。変わり果てた姿を見た私は、脳天を打ち砕かれたような衝撃を受け、目の前の出来事が夢であって欲しいと願いました。激しい暴行の様子が、アザや傷から容易に分かり、恐ろしさのあまり足が震え、腰が抜けてしまいそうでした。
医師から「心肺停止の状態でなかったら、手の施しようもあったかもしれない」と言われました。血液検査の結果、「普通では考えられないぐらいの、栄養失調、免疫不全」とも言われました。死にそうになるまで虐待を受け続けたのです。
その夜、搬送から約24時間後に、息子は息を引き取りました。激しい衰弱と筆舌に尽くしがたい苦しみに耐えた後に、亡くなりました。死んでやっと楽になれたのかもしれません。生き地獄からやっと開放されたともいえます。
「虐待する気がなかった」という加害者。「死人に口なし」といいますが、そんなことはありません。息子の遺体の数々の傷痕、やせ細った身体は、むごい虐待を受けたことを如実に語っています。
寝たきりになっても、話せなくてもいい。生きてさえいてくれたら、それでいいから、命だけは助かって欲しいと祈った息子は、一度も意識が戻ることなく、言いたいことを一言も言えず、一人で旅立って行きました。
家に連れて帰ってから告別式が終わるまで、ずっと息子の両目から涙が流れているように見えました。辛かったんだろうな~ ! 痛くて苦しかった涙、悔しくてもっともっと生きたいと思った涙だったのでしょう。兄弟が泣きながら、その涙をふいてやっていた姿を思い出すと、今でも涙が止まらなくなります。
事件の後は、ほとんど寝られず、それでもしっかり息子を送ってやろう、来てくださる方にも失礼のないように頑張ろうと、お通夜、告別式を務めました。父親として気丈にふるまいましたが、私の心は、ボロボロに折れてしまいました。今も、折れたままです。「親としての責任が果たせなかった」と反省ばかりしています。
加害者の一人は未成年でした。人を殺しておきながら、未成年であるというだけで、顔も名前も公表されず、法律で大切に守られています。未成年であるというだけで、様々な保護を受け守られます。逮捕後は、弁護人が2人も国の費用で付きました。一方、私たちは、被害者なのに法律で充分に守られていないのです。加害者に権利があるのなら、被害者にも権利があっていいはずです。死んだ者にも権利があっていいはずです。
私たち被害者家族は、予期せぬ現実を受け止めきれない中、マスコミ攻勢、煩雑な様々な手続き、世間の目などなど…普通の生活ができなくなりました。マスコミの取材や報道記事を読むと、辛さが蘇ってきます。面白しろおかしく報道されて辛いです。このような思いをすることを二次被害というのだそうです。
私たちは被害者なのに、法律や制度で守られることもなく、二次被害も加わり、大きなストレスをたくさんかかえました。息子を失うだけでも充分に辛いのに、まだこれでもかというくらいに、たくさんの辛さが襲ってきました。
「二度と私たちのような苦しむ人が出ない世の中になることを願います」。こんな事件が起きるたびに、繰り返される言葉です。本当にそうです。子どもを失う親の気持ちなんて、実際にそういう目にあった人にしか分からないのです。
私たち被害者遺族は、特別なことや大げさな支援を求めているわけではありません。 多くの被害者家族は、加害者に対する怒りや憎しみ以上に、被害者に対する懺悔の気持ち、後悔の念が強いことを知ってください。私たち家族は、事件によって生涯背負い続けていかなければならない終身刑を言い渡されたと思っています。
事件後、多くの人に助けられ、心の支えとなってもらいました。今までこれほど人のあたたかさを感じたことはありません。本当にありがたかった。今もずっと見守ってくれています。
「ぎふ犯罪被害者支援センター」の皆さん、そして裁判地の「おうみ犯罪被害者支援センター」の皆さんには、大変お世話になり心強く感じました。こうして力になってくださる方がたくさんいてくれることに心から感謝しています。
最後に息子へ
25年という短い一生ではあったけれど、たくさんの思い出をありがとう。父親としてしんどい時期もあったけど、今となったら楽しかったことしか思い出せません。優しくて、素直だった息子、ゆっくりお休み。うちに帰って来るのをみんな楽しみに待っているからね。私たちの家族でいてくれて、本当にありがとう。