犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 突然の父との別れ

突然の父との別れ

公益社団法人千葉犯罪被害者支援センター
Y・I
「犯罪被害者の声 第16集」より

2019年10月1日、私の父は絞殺されました。
それは、私がA市の実家に帰省して、自宅へ戻ったわずか10日後の事でした。
私の家族は、両親と兄・私の四人家族で、兄と私は結婚して実家を出ていたため、実家では両親が二人で暮らしていました。
兄は、実家の近くに住んでおり、私はB県で生活をしていました。
父は、コンビニを2店舗経営していましたが、実際の運営は兄に任せて、実家の1階にあった空き店舗の管理を父がしていました。
この事件の犯人は、この空き店舗の賃貸の仲介を担当していた当時36歳の男です。この男は、空き店舗の借主から預かって父に渡すべきであった家賃や敷金を横領し、153万円を私的に使い込んでいました。約束の期日になっても口座に入金がないことを父に問われ、犯行に及びました。
裁判では、業務上横領については認めたものの、殺人については、自分は犯人ではないと言い、否認し続けました。被告人は、最高裁まで上告しましたが、2022年3月7日に上告棄却され、懲役22年の刑が確定しました。

事件当時、母は難病のために入院していて、父は一人で暮らしていました。
父は毎日、夕飯をコンビニに予約注文し、毎日決まった時間に取りに行っていました。しかし、父から連絡もなく、夕飯のお弁当を取りに来ない日が2日続いたので、コンビニの方から何かあったのではと兄に連絡があり、10月2日の夜9時過ぎに兄が実家を訪ね、事件が発覚しました。父は、クローゼットの中で後ろ手に縛られた状態で亡くなっていました。
私が事件を知ったのは、10月3日の夜10時過ぎのことです。
義理の姉から電話があり、「父さんが亡くなった」と言われました。私は、半月前に亡くなった義姉の父の事だと思ってそう答えると、義姉から「違う。Cちゃんの」と言われ、頭が真っ白になりました。

10日前に会ったばかりで、その後も電話で話していた父がまさか死ぬはずがない、何かの間違いだと思いました。その後、警察にいた兄から電話があり、今スマホで検索できるかと言われ、「A市、コンビニ」で検索してくれと言われて、その通りに検索すると、殺人事件の記事が出てきて、ニュースで父の事が報道されていました。
映像を見ても何も頭に入ってきませんでしたが、隣で夫が「お父さん」と言って大泣きしているのを見て、これは本当のことなんだと、父が殺されたという現実を突きつけられました。
その日は夜中まで刑事さんとのやり取りがあって一睡もすることはなく、また、人はこんなにも涙が出るんだというほど、翌日になっても涙が止まりませんでした。すぐにA市に帰りたくても身体が動かず、用意をするにも何も考えられず、私の思考は完全にストップしたような、今までに感じた事のない感覚に襲われました。夫と空港へ向かう途中もずっと涙が止まらず、もう自分ではどうすることも出来なかったのを覚えています。

父は、解剖を終えて、浴衣姿のままお布団で眠っていました。その姿を見て、「パパーーー」と大声で泣き叫びました。父は、解剖で頭の中央部分にまで縫い跡があり、顔は全くの別人でした。優しい笑顔の父ではなく、本当に父なのだろうかと思うほどに変わってしまっていました。私は気が付くと、父の手足や身体をさすり、冷え切った父を温めようとしていました。父の手足は、たしかに見覚えのある父の手足で、私がはっきりと父だと確信したのは、かすかに開いていた父の右目でした。右目の黒目を見た時に「パパだ」と確信しました。父とは、いつも目を見て話していたので、その目は、10日前に見ていた父の目に間違いありませんでした。
本当に父が亡くなったのだと思うと胸が痛くなり、犯人を心の底から恨みました。どんなことをしてでも犯人を捕まえてやりたい、なぜこんなひどいことが出来たのか、何があったのか知りたいと強く思いました。
難病を患っている母が事件のことを知ったら、どんな影響が出るか分からなかったため、入院先の病院からは、母に事件のことを伝えないように言われており、母には父が病気で亡くなったと伝えていました。母は、父の顔があまりにも生前と違うので、父ではないと何度も何度も言って聞きませんでした。私は、母に、父を発見するのが遅くなったために、父の顔が別人のようになってしまった、本当にごめんなさいと謝りました。心の中では、父が最も大切に思っていた母に本当のことを伝えられない申し訳なさと、母が、誰よりも頼りにしていた父が殺されたという真実を母に伝えられない悲しさとで、今までに感じたことのない辛さでいっぱいでした。
今でも、母には事件のことを伝えられていません。

私は、B県に住んでいることもあり、両親との連絡は電話が多かったのですが、昔から1回の電話の長さが1、2時間は当たり前で、色々な話をよくしていました。
父から母の病気の事で相談したいと言われ、9月15日から22日まで実家に帰省しました。母の病気も心配でしたが、一人で母の介護をしている父の事も心配だったので、長く休みを取って帰省したのです。
帰省中、父とは色々な話をしました。父と性格が似ていた私は、考え方もよく合ったので、二人でビールを飲みながら楽しい話をしたり、父が生まれてから現在に至るまでの話などを聞いたり、時間も忘れて夜遅くまで話をしました。
私は、父がずっと1階の空き店舗の事を気にしていたのを知っていたので、新しく借主が決まった話や、仲介をしている不動産の担当者が凄くだらしない人で困っているという話を聞いていました。
担当の刑事さんから電話があり、私がA市に帰省していたときの話を聞かれたので、私は、父から聞いた事を刑事さんへ伝え、「犯人は不動産の担当者だと思う」と断言しました。なので、すぐに捕まると確信していましたが、実際には逮捕までに4 ヶ月以上かかり、悶々とした日々を過ごしました。

父は、まじめでとても几帳面な人でいつもニコニコしていて、優しくポジティブな性格でした。一度やろうと決めたことは、歯を食いしばって頑張る人でした。
母の介護も一人で行い、夜中に何度も起こされて、睡眠不足で父の体重が5キロ減ってしまった時も、一番辛いのは母で、自分が逆だったらと思えばなんてことはない、大丈夫と言って、いつも笑っていました。
こんなに母の介護で大変な思いをしても、父は、母がいないと寂しいから、母には一日も早く退院してもらって家に連れて帰りたいと、何度も何度も私に言っていました。
父はいつも、相手の良いところを見て、自分がされて嫌なことはしてはいけないと教えてくれました。
私が仕事の愚痴を父に言った時もいつも話を聞いてくれて、最後には必ずポジティブな考え方に変えてくれました。どんな時も味方でいつも優しく気遣ってくれた父を、身勝手な被告人に突然奪われて、裁判が終わった今でも、被告人を「死刑にしてほしい」と思っています。

父の葬儀が終わって2日後くらいに、供述調書を作成するために警察に行きました。その時に、被告人の刑事裁判に遺族が被害者参加できることを聞き、何の迷いもなく、すぐに参加することを伝えました。
私が住んでいるB県の犯罪被害者支援センターを紹介していただき、数日後にはセンターの方から連絡をいただいて、現在までずっとサポートをしていただいています。
裁判なんてドラマの世界の出来事で、実際に自分が関係するなんて思いもしなかった私にとって、被害者遺族をサポートしてくださる方がいることは、本当にありがたく、相談員の方が、何もわからない私に一つ一つ丁寧に教えてくださいました。
初めてセンターに行った時は、土曜日しか行けない私の予定にも合わせていただき、泣きながら夢中で話したことも全部聞いてくださり、これからの流れや被害者参加の詳細、弁護士さんがついてくださることなど、詳しくわかりやすく説明してくださいました。
私には視覚障害があるので、裁判所や検察庁に行く時も一緒に同行してくださって、本当に安心して裁判に集中することが出来ました。
A地裁での一審が始まる前に、B県の裁判所で傍聴する事も提案していただき、一緒に傍聴して細かく説明してくださったことは、実際の裁判でとても役に立ちました。
裁判での様子を事前に感じることで、余計な緊張や不安を減らすことが出来ました。
本当に感謝しております。
私の弁護を担当してくださった弁護士さんも、私が希望することは、諦めずに検事さんへ何度も伝えてくださり、要望が通ったことが何度もありました。
ダメだからと諦めるのではなく、誠意をもって伝えてくださったことに、深く感謝しております。

A市での裁判に参加してみて、裁判までの道のりがとても長く、警察・検察・裁判所・弁護士・支援センターの方々と、本当に多くの方の協力で成り立っていることに驚きました。それとともに、一人の身勝手な行動がこんなにもたくさんの人の手を煩わせること、自分のしたことの重大さを、被告人に本当にわからせたいと思いました。
しかし、被告人は否認を続け、控訴・上告して、最高裁に至っても最後まで罪を認めることはなく、反省も謝罪も一切ありませんでした。裁判での態度もまるで他人事で、嘘の供述ばかりで、それを黙って聞かなくてはいけないことが、本当に苦痛でした。こんな人は、絶対に更生しないと思います。
反省のない人は、再犯の可能性も高いと思います。現在の裁判では、量刑は過去のデータを元に出されるようですが、事件は一つ一つ違い、その背景や動機などは様々です。

父の事件の被告人は、前の職場でも横領を繰り返していました。横領を犯罪と思わないその考えが、今回のような重大な事件を引き起こしたのだと思います。
量刑を決める際には、被告人が反省をしているか、再犯の恐れがないかをもっと重視していただき、この先起こるかもしれない犯罪が、一つでも減ることに繋げてほしいです。
また、最終的に有罪が確定した場合には、裁判でした嘘の供述や反省のない態度も、罪として罰することができるような裁判制度になってほしいと思います。
被害者遺族に突然なるということは、言葉では言い表せないほどに辛いことです。
こんな思いは、誰にも経験してほしくないです。
でも、犯罪はどこに潜んでいるかわかりません。
人の命は、何にも変えられない尊いものです。人の命を奪った犯罪者には、もっと厳しい処罰がくだされるようになることを希望します。