心情に関する意見陳述書
公益社団法人あおもり被害者支援センター
匿 名
「犯罪被害者の声第15集」より
私は、今回の交通事故で亡くなったKの母親です。
今回の裁判にあたり、被害者の遺族として思っていることを述べたいと思います。Kは私の娘ですので、Kのことを「娘」といいます。
1 娘は、人付き合いがよく、仲間がたくさんいました。にぎやかなことが大好きで、私からみれば孫たちが小学校のうちは、近くの夏祭りに毎年参加していました。また、孫の部活の親同士でバーベキューをしたり、部活動の大会の応援にもよく行って、とにかく友達が多かったです。
娘は、人にものを頼まれても嫌な顔一つせずにやってくれていました。私の夫が身体障害で施設にいた時も、娘が夫の世話を全部やってくれました。また、私は機械の操作に疎く、携帯電話の使い方もわからないところは全部娘に聞いて教えてもらったり、実際に操作してもらったりしていました。今思えば、このような娘の面倒見のよさが、娘のことを慕うたくさんの友達がいた理由だったのだな、と思います。今回、娘が亡くなり、その通夜・葬式の時に、高校の女子生徒が棺の娘に向かって「K、K」と声をかけ、涙を流しているのを見て、子どもたちにも慕われていたのだな、と思いました。
娘は、2人の子を持つ母親としても昼夜仕事を掛け持ちして、1人で立派に子どもたちを育ててきました。
2 その娘が、今回の被告人が起こした事故により命を奪われたのです。
(1) 先ほどもお話したとおり、娘は2人の子どもを女手一つで育ててきました。私から見れば孫にあたりますが、娘の子どもたちはたった1人の肉親を失ったのです。娘の無念さ、声を聞きたいという思い、娘の棺にしがみつき、火葬場で泣き叫んでいた上の孫の姿を私は決して忘れることはできません。
事故から1年8 ヵ月が過ぎ、孫たちの様子も少しは落ち着いてきたように見えますが、夜眠ることができず、睡眠薬を服用している時もあるようで、精神的には相当ストレスを感じており非常に心配しています。
下の孫は、高校を卒業した後の将来の話になった時、「うちは一般の家庭と違うから。」と言いました。それを聞いて私は何も言えませんでした。
(2) 被告人は、肉親を奪われて残された未成年の子どもたちがどのようにして生活しているのか考えたことがあるのでしょうか。
事故から1年8ヵ月が過ぎましたが、事故の賠償の問題も何一つ解決しておらず、借金をして生活している状況です。来年3月までには現在住んでいる住居から引っ越さなければならず、新しくすむ場所が見つかるだろうか、引っ越しの費用はどうしようかと不安で、毎日心が休まる暇もありません。
それでも亡くなった娘のことを思い出さないことはありません。 そして、娘のことを思い出すたびに、娘を失った悲しみ、悔しさがこみ上げてきます。
この悲しみ、悔しさは生きている限り続くのでしょう。
3 私が、今回、裁判に参加することを決めた理由は、事故から1年8ヵ月が過ぎて、被告人がどういうことを法廷で話すのか、自分のこの耳で聞きたかったことと、被害者や遺族に対してどう謝罪するのか、反省しているのかどうかを知りたかったということと、私たち遺族の悔しさ、悲しさを自分で伝えたかったことから裁判に参加することとしました。
4 しかし、裁判に参加して、被告人の話を聞き、被告人の態度などをこの目で見て、やはり被告人のことを絶対に許すことはできないという思いです。
(1) 被告人は、自分は成人しているので、親の責任はない、親は関係ないと言っていましたが、本件事故前日に一緒にバーベキューをして、飲酒した状態で一緒に被告人の車に同乗して今回の事故にあった仲間のところには、親に頼んで謝罪に行ってもらったと言っていました。仲間には親に頼んで謝罪に行ってもらったのであれば、私たち遺族に対しても同じようにできたのではないでしょうか。今回の事故で亡くなった被害者遺族に対して全く何も謝罪もないのは、被告人に全く反省がないからだと感じました。
また、被告人は、裁判の時に被害者の遺族には謝罪したいと思っていたと話していましたが、自分の父親が傍聴席の私たち遺族に対して頭を下げて謝罪したのに対し、被告人自身は何もしませんでした。やはり被告人は全く反省しておらず、被害者遺族に対して申し訳ないというのは口だけだと感じてしまいます。
(2) 私は、被告人やその仲間のうちでは、これまでにも飲酒運転がされてきたのではないかと思ってきましたが、今回の裁判で、被告人自身の口から飲酒運転が初めてではないことが語られました。前に飲酒運転したのは今回の事故の7,8年前のことだと言っていましたが、仲間から飲みに行こうと言われ、飲酒後間もなく車を運転しており、飲酒した状態で車を運転することは日常的だったのではないかと感じております。
(3) 今回の裁判で、被告人の父親が遺族に向かって初めて謝罪しました。しかし、被告人の父親は、今回の裁判の傍聴に来ることもなく、自分の子である被告人がどのような事故を起こしたのか知ろうという気がないのではないかと感じました。また、被告人が服役して出所した後は自分の農業を継がせたいと将来の話をしていましたが、被告人の被害者遺族に対する償いに関しては被告人に謝罪させると述べるのみで、他に何をしたらよいかわからないと言っており、被害者遺族のことをまるで考えずに息子のことばかり案じているように見えました。
本件事故に至るまでの被告人と被告人の父親の関係の話を聞きましたが、被告人の父親が被告人にこれまで関心を持ってきたとは思えず、被告人も今回の事故は自分の責任で、親は関係ないと話していることからも、被告人の親が息子である被告人に被害者遺族に対する償いをさせるということを期待することはできないと思いました。
(4) このような裁判での様子を目の当りにして、やはり被告人のことを絶対に許すことはできないと改めて思ったのです。
5 私は、今回の事故は、「スナックに行って飲みたかった」という身勝手な理由で、交通ルールを全く無視し、飲酒した状態で車を運転し、無謀極まりないスピードで車を凶器に変えた殺人に等しい事故だと思っています。ニュースなどで、事故の現場の防犯カメラ映像が流れることがありますが、今回もそのような映像があれば、こんな悲惨な事故になるんだと皆さんに見て、知っていただく機会になったかと思うと残念でなりません。
二度とこのような事故が起こらないようにするには、どのようなことをしていったらよいのか考える機会になればと願っています。
私たち遺族には、娘を失った悔しさ、悲しみ、苦しみ、被告人に対する憎しみといった感情がありますけれども、悔しさ、悲しみ、苦しさは今後一生自分の一部となって続いていくでしょう。そうであれば、せめて被告人への憎しみだけは取り除いてほしいと願っています。そのためには、被告人の被害者遺族に対する謝罪、償いの仕方が欠かせませんが、これまでの被告人側の遺族に対する態度、今回の裁判における被告人の態度を見る限り、被告人が何人もの人を死なせた事実を深刻に受け止めている様子が感じられず、私たちを失望させるとともに、強い憤りを覚えました。
人の命は1つだけであり、二度と取り返すことはできません。
被告人には、法の許す限り最大限長く刑務所に入り、そのことを自覚して、自分が犯した罪を償う中で、本当の反省をして欲しいと思います。
裁判官、裁判員の皆様には、誰もが納得する判断をしていただきたいと思っています。
以上