犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 さくらの会と支援センター

さくらの会と支援センター

公益社団法人くまもと被害者支援センター
自助グループ「さくらの会」
K・Y
「犯罪被害者の声第15集」より

2003年、9月26日 二女が私達家族の中からいなくなってしまいました。
もちろん、何もかもが初めての経験で何が何だか解らず、私としては二女の友達に聞いたり、警察に行ったり、弁護士に相談する等当時、出来るだけの事は精一杯、必死にしました。私達の様な遺族をサポートする被害者支援センターは同じ2003年の4月に出来たばかりで私達と接する事は全くありませんでした。ただセンターの存在を知っていたとしても支援を仰ぐ事はなかったと思います。何故なら私は父親で家族を守る事が出来るのは自分だけしかいないと思っていたからです。しかし裁判が始まれば加害者は嘱託殺人だった等と自分が言いたい事を勝手に話をしました。私は拘置所に会いに行ったりして、加害者の気持ち(動機)を知ろうとしました。しかし、何の進展もなく、6回の裁判は、ただ空しく回数だけ重なるだけでした。

しかし判決では求刑の16年が15年になり二女が悪い所がなくて、加害者の一方的な思いで事件は起きたと判断されて、少しは報われた様な気がしました。
私は二女の事をずっと妻と話していたいと思っていたのですが約半年後には「二女」の話はしないでほしいと妻から言われました。妻の気持ちも解りすぎる程解ります。あまりにも悲しすぎて辛かったのです。私はその様な中でお酒に逃げました。

しかし、お酒だけでは悲しさ、辛さをいやす事は無理でした。そして同時に二女の事を自由に話せる場所と相手が欲しいと思う様になりました。熊本には、その当時、ちゃんとした自助グループはありませんでした。仲間が欲しい気持ちが強くなってきた所に丁度、センターの方々から熊本の自助グループの設立に参加しませんかという誘いを受けました。私は喜んで承諾しました。センターの方々と共に東京都民センターで数回の勉強会に参加して、自助グループやグリーフケアについて学びました。それから、数ヵ月後、熊本で第一回目の自助グループが開かれました、私やセンターの方々が思っていた以上の集まりとなりました。お互いに話をしあう事で、少しは気持ちが楽になると考えていましたが、辛さ、悲しさばかりがあふれて、救いのある会にならなかったのです。それから、1ヵ月に1回定期的に自助グループは開かれる様になりましたが、最初の数年間は参加者が私一人だった事も多々ありました。その様な中でもセンターの方々が辛抱強く、自助グループ(私)を支えてくれました。

私自身は、当時センターの方々の事をそれほど信用していませんでした。「遺族以外に遺族の気持ちが理解できるはずがないではないか。」というのが私の本音でした。ただ良い事がしたい人達の集まりくらいしか思っていなかったのです。しかし参加者が私だけの時は、いつの間にか本当の自分をセンターの方々の前では話せる様になっていたのです。その中で沢山の心有る言葉をかけていただきました。自分では、どうしても答えが出なかった様な事も全く別の目線から、見る事が出来る様になりました。一年一年と回数を重ねていくことを今では感謝しています。熊本の自助グループは都民センターのやり方では通用しないと最初の会からの経験から思い、だから少しづつやり方を変えていきました。センターの方々も黙って好きな様にさせて下さいました。時にはまちがいを起こした事もありましたが、今では、それなりにうまく運営していっていると思います。

本当に私達の自助グループ「さくらの会」につながって良かったと言われる方や「さくらの会」は大切な会なので身体が続く限り来たいと言われる方や「さくらの会」を卒業されていく方等、沢山の遺族の方々の為になっている自助グループだと私は思っています。しかし、その「さくらの会」を継続していくにはセンターの人達のバックアップ無しではとても無理です。センターの方々は、一生懸命に勉強して私達遺族の気持ちを少しでも理解しようとして下さいました。いつもやさしい笑顔を絶やさずに必要な時は、その折り的確なアドバイスをして下さいます。

「遺族の気持ちは遺族にしか解らない」という傲慢な私の考えはまちがっていました。大事な娘を殺されるという考えられない様な事を経験した私は当然私は当初自分が特別な存在になったという勘違いをしてしまっていたのです。センターの方々はその様な私を理解して辛抱強くやさしく見守って下さいました。現在も「さくらの会」は遺族とセンターの方々とが一緒になってとてもうまく運営されている様に思います。それは、センターの方々の普段の努力の結果によってなされているのだと思います。

今、自分自身で悩み、苦しみを抱えている遺族の方が私達遺族やセンターとつながる事で少しでも前に進める様な会として存続していく事を願っています。