犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 亡き娘との約束を果たすまでは・・・

亡き娘との約束を果たすまでは・・・

公益社団法人被害者サポートセンターあいち
自助グループ「絆」
E・S 
「犯罪被害者の声第15集」より 

2021年5月末、私たち家族は長女の三回忌を行いました。
「逆縁」聞いたことはありましたがその意味は知りませんでした。
まさか、私たちがこのような、子供の仏事ごとを親がする「逆縁」になってしまうなんて思いもしませんでした。こんな信じられない悪夢が我が家に起こるなんて。

2019年6月4日(火)長女は朝、愛用のピンク色の自転車で仕事へ出かけ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。まだ20歳、成人式を終えたばかりでした。
その日に限って早上がりの半日勤務を1時過ぎに終えて、帰りに一人でお昼ご飯を食べに行こうと思ったのでしょう、自宅とは反対方向のあの交差点を通ってしまったのです。長女は交通ルールをしっかり守り、自転車横断帯のある横断歩道を自転車で渡っていました。ところがそこへ10トントラックが前方不注意で左折し、長女は自転車ごとトラックの下敷きにされて、頭を轢過されて即死しました。 

私の元へ連絡が入ったのは、午後1時36分の事故から約2時間後の3時半、警察署からでした。突然の電話に戸惑いながら出ると「A警察署です。Sさんはお宅の娘さんでしょうか。娘さんはトラックに轢かれてお亡くなりになりました。警察署でお預かりしていますので来てください。」と。私はその瞬間頭が真白になりひたすら、嘘です!と大声で何度も叫んでいました。
30分後仕事から帰ってきた主人と一緒に、A警察署へ向かいました。その車中私は信じられなくて、それでも怖くて怖くて震えが止まりませんでした。どうしてうちの娘が・・・どうして朝まであんなに元気に仕事に行ったのに・・・どうして突然こんなことになってしまったの・・・。私の頭の中は混乱し気が狂いそうでした。 

A警察署に着くと、小さな取調室に通されました。
そこで2人の警察官が話す言葉を、長女ではない別の人だと思いたくて、それが長女だと認められなくて、どこか他人事のように聞いていました。でも見せられたピンク色のリュックサックは確かに長女のもので、最後に立ち寄ったコンビニの防犯カメラの映像は確かに間違いなく長女でした。コンビニで絆創膏を買って、店内の防犯カメラの前で1枚出して指に貼っている長女の姿を見た時、私は大声で叫びたくなりました。「そっちへは行かないで!殺されちゃうよ!」と、生きている娘の最後の姿を見て声なき声は涙となって一気に溢れ出ました。いったい何故どうしてこんなことに・・・
本人確認をと警察官に促されて主人が長女に会いに遺体安置所へ行きました。私は行きたくありませんでした。長女が死んだなんて信じたくなかったのです。戻ってきた主人が言いました。「体はとっても綺麗だった。頭は目から上がつぶされて無くなっていた。でも長女に間違いなかったよ・・・」と。主人はちゃんと自分で確認した方がいいと私を抱えて遺体安置室へ連れていきましたが、私はその場に泣き崩れてとうとう娘の最後の姿を見てあげることが出来ませんでした。

お通夜葬儀を終えてからの私は仕事にも行けなくなり、魂が抜けた生ける屍のようになっていました。ただ一日中部屋に閉じこもり、長女の遺骨の前で何日も何日も泣き続けました。 

どうして、長女だったの?あんなに優しい娘だったのに・・・ 
どうして、あの大型トラックの女性ドライバーはあんなに大きな娘を見落としたの? 
どうして、今まで20年間一度も事故に遭ったことがなかったのに、たった一度の事故で即死なの? 
どうして、左側を見落とすような運転手が凶器のような大型トラックを運転しているの? 
どうして、長女は何にも悪くないのに青信号の横断歩道上で殺されなくちゃいけなかったの?

私の疑問と後悔は次から次へと自分に突き刺さり、心を蝕んでいきました。 

そんな時、気が付けば私は貪る様に必死でパソコンで検索し、ようやく見つけたのが被害者サポートセンターあいちでした。何度も迷って勇気を出して自分で電話をかけると、心地よく包み込むようなお優しい声の支援員さんが、私の話を聞いてくださったのです。その後、専門家のカウンセリングも受けさせていただき、その年の秋から、交通事故被害者遺族の自助グループ「絆」にも参加させていただくようになりました。私は決して独りではないんだと初めて思え、安心できる温かい場所に繋がることが出来たことに心から感謝しました。 

娘の事故から1年1ヵ月後加害者の刑事裁判での判決は「禁錮3年・執行猶予5年」私たちには到底納得できるものではありませんでした。何の罪も過失もない、ただ青信号の横断歩道を交通ルールを守って渡っていただけなのに、一方的に殺されて、加害者は判例にならって実刑にならずに済んでしまうなんて許せませんでした。しかも加害者からはろくな謝罪もなく手紙すらきません。知らん顔です。私たちは短期間に必至で署名を集め検察へ控訴を求めましたが、検察は新たな証拠がないとして控訴してもらえませんでした。私はまたもやり切れない絶望のどん底へ突き落とされました。 

しかしそんな時思い出したのは、長女が事故の数日前、私に遺した言葉でした。「どうして、A県は交通死亡事故がワーストワンなの?」と悲しそうな顔で。私はきっとこれは長女から私たちへの宿題なんだと自分を奮い立たせました。それからは、もう二度と長女のような悲惨な交通事故事件の犠牲者が出ないようにするためにはどうしたらいいのかと一生懸命に考えました。 

まずは娘の事故現場の交通量が多く危険な交差点に注意立看板を設置してもらい、市を通して県警へ要望書を出してもらい歩車分離式信号機への変更も約束していただきました。そして、思いついたのが娘が生前趣味のカゴ作りでたくさん遺していったクラフトテープを試行錯誤して交通事故撲滅を呼び掛けるストラップを作ることでした。今では、地元の警察署や市役所や自動車学校へ置いて頂き「ご自由にお持ちください。」とささやかですが草の根運動を始めました。まだこんなことしか出来ませんが、いつかあの世で会えた時、娘に誇れるような母になりたいと心に誓ったのです。

長女が突然、亡くなってから2年が過ぎました。 生きていたら長女は23歳、夢も希望も未来もある、年頃の娘です。もしかしたら、この先好きな人と結婚して、可愛い子供も生まれていたかもしれません。 
そして、長女は生前私と約束していたのです。「私この家にずっといてもいい?結婚してもしなくても、私がパパとママの面倒は見るからね。だからずっとこの家で一緒に暮らしてもいいよね」と。今となっては、あの大型トラックの女性ドライバーのついうっかり見落とし運転のせいで全部叶わぬ夢と断たれてしまいました。どんなに悔やんで、恨んでも恨みきれません。 

それでも長女は何を望んでいるのだろうと思うと、もう二度とこんな悲しい事故が起きないことです。突然未来を絶たれてしまう若者も、子供も、逆縁の親も増えないことです。 
交通事故の殆どは人間が起こすヒューマンエラーなんです。ついうっかり気付かなかった、ついスピードを出してしまった、このくらい大丈夫だと思った。でも、その一瞬の気の緩みと油断のせいで長女のように命を奪われ、未来を絶たれてしまった子供や若者も大勢いるのです。そのすべてを交通事故は殺人と違って殺意はなく、ただの過失だから仕方がないと、簡単に片付けられて果たして良いのでしょうか?私は残された遺族として、長女が生きることが叶わなかった未来の景色は、交通事故で亡くなる人が出ない、安全で安心して暮らせる社会になってくれることを切に願っています。交通死亡事故が起きない社会を心から願った優しい娘との約束を果たすまで、私は今できることを見つけて娘とともに精一杯生きてゆきます。