犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 息子の為にできること

息子の為にできること

公益社団法人石川被害者サポートセンター
Y・Y
「犯罪被害者の声 第14集より」

何故執筆しようと思ったのかというと、この理不尽な世の中が変わって欲しいという願いからである。この機会を下さり、都度私達家族の心配をしてくれている被害者サポート支援センターの方々に感謝申し上げます。

 私の息子は12歳の秋に、睡眠障害を患っている4 児の父で同じ親という立場の男の居眠り運転により事故を起こされ命を奪われた。息子は私達が経験した事のないはるかはるか強い痛みを受け、一瞬で命を奪われた。まだ事故の詳細を語る事は私にはできない。4 年が経ちそうな現在も何故息子は命を奪われなければいけなかったのか…何故息子だったのか…と思い、その答えは今も見つける事はできていない。
 周りからは「運が悪かったね。」「辛いことは忘れればいい。」「運命だったんだよ。」と何人にも言われた。その言葉を笑ってうんうんと頷きながら聞く苦しみ、悔しさは普通の人には伝わらないだろう。私を慰めようと思ってくれているのは有難いが他人事で何にもわかっておらず腹立たしくてならなかった。“運や運命で人の命を片付けてくれるな!!” “忘れるつもりは全くない!!” 心の中で悪態をついていた。そんな事を言うなら自分が事故に遭えばいいのにとも思っていた。
 私は息子がいなくなったその日から自分の中に鬼が住んでいる。家族崩壊しそうな時もあった。夫の考えている事がわからず、していることが理解できず苦しんだ。離婚も考えた。でもそんな時娘さんを事故で亡くした方に会う事ができた。それは紛れもなく被害者サポートセンターの方々のおかげで、私はその方のお話が聞けなかったら離婚していたかもしれない。夫婦であっても悲しみの波は一緒とは限らないと教えて下さり私の苦しみはとれ、それからはそれぞれに息子の為にできる事を考え息子の為にしたい事をしている。
 今、私は仕事をして学校行事、日常を送っているが、私の心の中の鬼は存在し続けている。加害者、加害者の家族はもちろん、政府高官、県職員、市職員と恨んでいる人の数は多すぎて数えられない。結局法律とは誰をメインに考え誰のための法律なのだろう。加害者は罪に対しての弁護をしてもらう事を決められており弁護士がつく。そしてその弁護士が人としてどんな最低な罪を犯そうとも弁護する。
 息子の命を奪った加害者は命を奪っておいて謝る事さえもしない、罪の意識も感じているかもわからない。それなのに判決はたったの3年8 か月。それでもよく考慮してくれたと慰めの言葉をかけられたが、うまく丸め込まれただけなのではないかと思ってしまう。何も納得できていない。加害者は3 年8 か月刑務所で過ごせば、また日常生活に戻る。おそらく自分の犯した罪は早く忘れようと心から締め出すであろう。考えないようにしようと逃げるだろう。
 加害者の家族はもっと責任がある。睡眠障害を抱えており、朝から眠気を感じ日中も起きていることがままならない加害者に片道2 時間半かかる長距離運転を平然とさせていたのだ。憤りを感じずにはいられない。障害・病気を持っている人の運転する権利を奪うつもりはないが、睡眠障害があり日中も眠気を感じるくらい病気が重いなら運転を制限してほしかった。医師からの注意だけではなく、法律で障害・病気を抱えており医師から指示が出ている者に対して例えば片道1 時間以上の運転をしない。それ以上の運転をする場合は医師の許可がいる等制度を決め、違反すれば罰則を設ける等のシステムがあれば息子の事故は起きなかったかもしれない。挙句に加害者の妻は裁判に子供の授業参観だからと欠席するのだ。呆れる事しかできなかった。
 そんな人間達に命を奪われ何もできない私は悔しくて仕方ない。大事な息子で将来を期待し、周りから愛されていた息子だった。小さな妹を可愛がり、読書が好きで物知りで大きなくりくりの目をした可愛い子だった。自分の事は自分でできて親の手がかからない子で長男として大きな期待をしていた。これからの成長が楽しみで、亡くなる前日には私と背比べをしてもうすぐで追い越されると喜んでいた。もうあの子の声を聞けず、抱く事もできず、会う事も叶わない。夢に出てきても顔を見せなかったり、病気を患い下半身麻痺だったり、元気な息子に会うことすらできない。
 なぜ息子は事故に遭わなければならなかったのだろう。睡眠障害を抱えている人に長距離運転をさせていたのは罪にならないのか。それはいずれ事故を起こすかもしれないと予測できなかったのだろうか。私は罪と考える。そして今の日本の法律は初犯で故意でなければ罪が軽いと言う。そんな話があるだろうか。人の命を奪っておいて初犯という事が関係あるのだろうか。尚更法律は加害者を守っているように感じる。理不尽な世の中だと感じる。そんな世の中だからドライバーは車を運転する恐怖・責任が軽いのではないか。自分の運転で尊い命を奪う恐ろしさをもっともっとわかってほしい。それは運転する自分にももちろん当てはまる。もう加害者にも被害者にもなりたくない。ましてや私の大事な家族をこれ以上奪わないでほしい。
 私の願いは、命を奪ったならそれ相当の罪を負う事であり、現状の法律を見直して欲しい事である。法律を変えるのは被害者しかできないという事もおかしいと思う。重大な事が起きないと法律が変えられないという事では遅すぎる。何においても犠牲者が出ないと改善しないのはおかしい。犠牲者が出てから変えても遅い。罰則を重くすればドライバーの意識は変わり、事故は減るのではないか。罰則を重くしてほしい。ただそれだけが私の願いである。