「消えないあの日の記憶」
公益社団法人被害者サポートセンターおかやま
匿名
「犯罪被害者の声 第13集より」
このように文章にするまで、どれくらいの月日が経っても消し去る事のできないあの日の記憶、感触や感覚も尚鮮明に残り、暗黒の闇から遙か遠くに見える灯りに向かって、走っている自分自身が脳裏で今ももがき苦しむ。
ごくごく穏やかな日常にあやかる様なかたちで、1日1日を過ごすしかない現実。どうか、私の想いが少しでも伝わりますように。
事の始まりは6年前、平成25年、真夏を感じるくらい眩しい日差しが照りつける6月のこと。当時私は独身で両親と一緒に暮らしていました。カフェでアルバイトをしながら、自身の趣味がきっかけで木製看板の制作依頼を受け、自宅横の離れで作るという2足のわらじ生活を送っていました。その日もいつも通り外で作業をしていると、突然母から呼ばれ、私は加害者と初対面することになるのです。私には年の離れた兄がいます。9歳上となると幼い頃に父親を亡くした私にとっては、父親代わりとも言える頼もしい兄です。その兄が尊敬し信頼する相手、それがこの事件の加害者本人であることは、その時の私は知るよしもありませんでした。すべては自宅のトイレをリフォームする事がきっかけでした。
腕が良く信頼できる社長がいると母に紹介した兄。今思えば母は完全にその社長を信用しきっていたのだと感じます。突然母に呼び出された私に、その社長は「作品を見せてもらえないか」と言い、私の製作に対する想いなどを話すと、「うちには広い作業場があるから、そこで働きながら製作活動をしたらどうか」と提案してきました。
いきなりのことだったので、私は断ったのですが「返事はいつでも良いから」と名刺を渡されその日は帰って行きました。当時親元で暮し自立ができていなかった私。カフェで働きながら転職を考えていた時期でもありました。そんな中での一握りのチャンスとも言えるお声かけ。兄も母も「腕のある社長、すごい人で信頼も厚く、頼って間違いのない人」と真剣に勧めてくれました。強く勧める事もあり、その人の元で働いて、自立をして兄や母を安心させたいと思うようになりました。見習いとしての入社が決まったのはそれから直ぐのことです。建築会社に関し右も左も分からない私を、先輩や社長は温かく迎えてくれました。日中の仕事は大変でしたが、その分知識も得る事ができ、やりがいもあり女扱いされない部分も、私自身が働きやすいようにしてくれているのだと思っていました。日中の仕事が終わり一人作業場に残って自身の製作活動をする日々が続きました。帰宅するのも遅く1日1日があっという間に経っていく感覚でした。社長もそんな私を応援し見守っていてくれていると、当時の私は不信感もなく、自分自身のことで精一杯だったのです。頑張れば母や兄も喜んでくれる、頑張らなければ,それを胸に秘めて必死に取り組んでいました。
そして、間もなく私は体調を崩すこととなってしまいました。作業中に突然両手が麻痺した感覚になり、動きにくくなって痛みで夜も眠れなくなったため、クリニックを受診すると「手腕振動性障害」と診断され、それからも痛みを我慢しながら、負けたくないみんなに迷惑かけたくないと仕事に取り組みましたが、不安と挫折感にさいなまれる日が続くようになり、仕事に対して不安が募っていきました。
下記のことは、そんな時に起きた事件です。
<私がレイプされたいきさつ>
懇親会に出席し、帰社後事件はおきた
6年前の8月22日17時すぎ、事務所で書類の整理をしている時、社長から「今日は△△不動産関連の社長達が集まる会があり紹介するから。」と言われました。身体の不調から心も弱っていた状況の時に、社長から気分転換や設備の勉強も兼ねて社長会に同行する様強く言われ、また、「仕事の付き合いでお酒を飲まないといけないから送迎もしてくれ」と言われたのです。私はその時は何も社長に対して不信感も無く、逆に従業員を思い気遣ってくれてのことだと思っていたのです。会社の車で社長が運転し会場に到着しました。社長はつがれるお酒を何杯も飲んでいました。
22時30分閉会。帰りは私が車の運転をして、社長とともに会社に向かいました。社長は上機嫌で助手席から懇親会のことを色々話しかけてきました。私からも「ある社長が、『女が現場に出るのは大変だ。男社会の中によく来たな。』と言われたので、私は就職するまでの家族や彼(婚約者)の話をしました。兄が社長を信頼しており、両親も勧めてくれたので、安心して彼を説得して就職したこと、社長や会社の人達も皆安心できる人ばかりだから、自分も安心して将来の仕事として頑張る決意をしている。彼も今では頑張れと理解してくれている。」とこのような内容を帰社の車の中で社長に報告しました。
23時20分頃事務所に到着すると、社長からは、「自分は、事務所で仕事をした後、眠たくなったらそのまま事務所で寝るので自宅までは送らなくてよい。」と言われていたので、私も机の上に出しっぱなしにしていた書類を片付けて、すぐ帰る予定で社長と一緒に2階事務所に上りました。私が書類の片づけをしている間、社長はすでにパソコンに向かっていて、「帰りに事故でもしたら会社の責任になるから少しでも仮眠して帰れ。」と、強く言い、帰るきっかけがつかめずなかなか帰れないので次第に腹が立ってきて、社長の話をさえぎり立ち上がって、「眠くてもう限界なので帰ります。」と、言って帰りかけました。しかし、社長は「心配だから1時間でも仮眠して帰れ。」と強く言い、私は眠さが限界の状態だったこともあり、1時間だけ仮眠して帰ろうと、奥のソファーで寝る事にしました。気がついたら社長がソファーベッドの横に腰かけ肩をもんでくれていました。驚いて、「大丈夫です。」と言うと、「手腕振動障害は、腕や肩の血行障害になるから、もんだらええで。」と言い、止めずに揉み続けました。何度も何度も、「いいです、いいです。」と繰り返しましたが、実際は肩が凝っていたので気持ち良く、その時は、社長の下心には全く気が付きませんでした。私の意識の中では社会的にも尊敬に値する人だとの思いが強かったため、社長が淫らなことをするはずないと信頼しきっていたのです。が、いきなり壁を向いて寝ていた私の顔を両手で挟んで上向きにさせ、顔を力いっぱい手ではさんだまま、「好きだ。もう我慢できん。キスがしたい。」と、言いました。私はびっくり酒くさい臭いに気持ちが悪くなり、次第に恐怖に襲われ、抵抗も出来にくくなり、頭も朦朧としてきました。社長の姿勢もしだいに横座りから私の体にのっかかるようになり、胸をまさぐり、抵抗しようにも動きがとれなくてとても恐ろしくなりました。その時点から記憶がとぎれとぎれになってしまいました。その理由は自分が18歳の頃に、レイプされそうになった時の暗闇の光景がフラッシュバックで出てきたり、高校の時男子学生に乱暴されたこと、男には抵抗できないんだと、信頼していた社長も同じかとの思いになり、自分の抵抗する力が抜けてしまったのです。この時は、私の頭は真っ白になり、何も考えられず、抵抗もできなくて記憶も飛び飛び状態、私は涙があふれ止まらなくなり壁に向って泣いていました。レイプされた後、作業着を着て、「帰ります。」と、言ってそのまま、バッグを持って出ようとしましたが、部屋に社長の服が散乱しておりこの状態のままにしておくと、朝、事務員が出勤してきた時に変に思われたら困る、と思って社長の服をひとまとめにして、ヘリに置いてそのまま帰りました。
<裁判の結果>
その後、社長は「すまんかった」と、メールで言ってきましたが、許せなくて告訴することにしました。私は××警察署へ行き泣きながら事件について伝えました。何時間も何時間も事件について、自分が覚えていることを話しました。それはとても辛かったです。
結果は物的証拠が無いという理由で、不起訴になりました。どうしたらよいのか分からず警察からもらっていた「被害者サポートセンターおかやま・(VSCO)」のパンフレットを見て、相談の電話をいれました。そしてVSCOの協力弁護士、支援員の支援を受けることになりました。
VSCOの支援を受けて、まず検察審査会に申し立てをしましたが、これも不起訴相当と却下されました。VSCOの協力弁護士と相談して民事裁判を起こしたのです。結果は全面勝利となり、損害賠償金として、PTSD発症による治療費、慰謝料、弁護士費用を含む請求金額全額と、訴訟費用も被告の負担とする判決を得ました。しかし、この損害賠償金は加害者の悪質巧妙な手口で一回も支払われることなく現在に至っています。
現在は、当時の彼と結婚し二人の子どもに恵まれ、育児と仕事を頑張りながら親子四人の忙しい日々を過ごしています。主人と子どもたちが私を救ってくれています。
現代社会では事件は物的証拠の有無により立証する法の仕組みですが、自身の事件裁判を通じて疑問をいだいたことは、今でも心に引っかかり消えることはありません。
現制度では仕方ないのかと思いながらも、私自身の胸中に陽の差す兆しがいっこうに見えないのが現実です。今後、私と同じような被害者や、その家族の心境や訴えを守ってくれる制度になることを切に願っています。心の傷は事件から何年経っても、一生治ることは無いんだろうと感じます。今はただあの日の記憶や光景が蘇ってこないように、毎日毎日をがむしゃらに生きていく、それが思いの外難問で息苦しいということを、今回この手記を通じて伝わって欲しいと願い重い筆をとりました。あの日から心にポッカリと空いてしまった暗闇。何年も灯りを探して彷徨う自身の姿を想い、時が止まったような感覚。そこから抜け出したくて、この手記を書くという行動が一粒程の小さな灯りになればと強く想うのです。明るい未来!と書くだけなら凄く簡単で光が差し込める扉をも連想させる事でしょう。私はその扉をいつ開けることができるのか。胸の中に潜む消えることのないあの日に手を振る覚悟はまだまだ準備段階にも及ばない。今、はっきりと頭のてっペんから足の先まで敏感に伝わってくるのは「辛い」「苦しい」という本音で、心の中で叫んでいるのです。
加害者が罪に問われず、現在も平然と社長として仕事をしているんだと思うと、怒りやもどかしさ、憎さといった自分にとって負の感情が出てきて生活に支障をきたします。裁判官から下された賠償命令を無視し、弁護士との契約事項をも無視し続けている加害者を許すという判断は一生涯できません。権力の弱い者への支援にもっと力を注いでくれる世の中になりますように!