ちぃちゃん
公益社団法人くまもと被害者支援センター
自助グループ「さくらの会」
K・Y
「犯罪被害者の声第9集より」
娘が殺人事件によって亡くなって12年が経ちました。最初はただ悲しみの中で生活していました。
裁判をしていても、仕事をしていても、家族と一緒にいても、ちぃちゃんのことばかり考えていたように思います。ただただちぃちゃんのことを考えていれば幸せだったのです。
そのような中で私は残った娘たちとは、なかなか話が出来なくなり、妻とはうわべだけの関係になっていったように思います。
三女が卒業しても、長女が結婚しても、孫が生まれても、考えることはちぃちゃんのことばかりでした。家族は各々の思いの中でだんだんとバラバラになっていき、全く笑い声のない生活が8年以上も続きました。
私は自分なりにたくさんの努力もしましたが、事件のことがあまりにも大きく心にのしかかっていたので、どうしようもありませんでした。当時は残った私の人生を死んでしまったちぃちゃんの生きた証の為に歩んでいきたいと思って、それなりの努力もしました。
関西は、ちぃちゃんが最後に見つかった場所で近寄りたくない場所でした。そのような時、母校が甲子園に行くことになりました。以前、関西に深夜バスで行き、関西には絶対に行かないと決めていたのですが、なぜかその時、自然と深夜バスで甲子園に行くことにしたのです。
スポーツは好きだったのですが、生でスポーツを実際に観たことがありませんでした。スポーツはテレビで観ることが一番だと小さい頃から思っていました。そのような私が一人で甲子園に行き、大観衆のアルプススタンドで母校の試合を観ていると、ふとそのとき、私の左後方に亡くなったちぃちゃんを感じたのです。それまでの10年間一度もちぃちゃんの存在を感じたことがなかったのに、その時はちぃちゃんと2人で母校を応援している感覚でした。
その後にたくさんのことを考えました。自分のこの10年間は何をしてきたのだろう?人のためになることをしていたのは全て自己満足でなかったのか?家族のためにどれだけのことをしてきたのだろうか?
また、このままではちぃちゃんのいる世界に行ったとき、ちぃちゃんに話せることはあるのか?それからです。私は残された家族や孫のことを本気に考えだしました。自分の家族以外の人たちのことも真面目に考えるようになりました。現在は里親の資格も取り、次に歩み出そうとしています。
それからもう一つ、大切なことが今年ありました。民事裁判の判決延長手続きをしなければならなかったのです。10年前の民事裁判において約1億円の判決をもらっていたのですが、加害者からの賠償金は1円も一切もらっていませんでしたが、多くの方たちに当時勘違いをされてしまったようです。
今年はその民事裁判再請求で、そのことがマスコミに載り、やっと多くの人に賠償金は一切もらってないと誤解が解けたようです。しかし、その中で一つの疑問がわきました。どうして10年間で民事裁判の判決が途切れてしまうのか?再度裁判を起こすのに、新たに弁護士費用や収入印紙代がかかるのです。私の場合、収入印紙代だけで33万円ほどかかりました。とても不条理だと思います。
この民事裁判を再び起こすことで、家族の中でも大変意見が分かれたのです。今度の民事裁判判決の後に、加害者が数年で刑務所から出てくるのです。
現在、長女も結婚して2人の孫に恵まれています。私たち残された家族は、それなりに悲しみに耐えて、何かが起こらないよう、平穏に暮らしているのに、なぜ波風を立てるのか?と妻が言うのです。
出所してくる加害者の逆恨みをかって、今いる家族に何かあったらどうするのか?2人の娘、2人の孫に危害が及ぶようになったらどうするの?
出所して犯人がどこに住むかわからないけど、もし取り返しがつかないことが起こったらと不安で、不安で仕方がないと言うのです。加害者が恐いのです。そして多大な裁判費用を加害者に使うより、もっと違うことに使いたいと言うのです。
妻が言うことは当然のことで正論だと思います。だから私も心が揺れましたが、残された2人の娘がまだ加害者を許したくないと言ったのです。もうすぐ出所してくるのになぜ、今加害者を許すのかと言ってくれたのです。その事が大きな後押しとなって、今度の民事裁判を行うことを決めました。
このように加害者はいろいろな形で12年経っても、私たち遺族を苦しめ続けるのです。