最愛の娘を亡くして
公益社団法人かがわ被害者支援センター
実久の母
「犯罪被害者の声第9集より」
私たちのたった一人の愛娘である実久は、2014年1月29日下校中に危険ドラッグ吸引後の暴走車に轢かれ、2月7日にこの世を去りました。誕生日は12月でしたので、たった11年2ヶ月という、短い生涯でした。
夫から事故を最初に聞いた時、「どうして実久が。あの子は歩道を飛び出して歩くような子ではないのに」と思いました。私は出先でしたので、急いで事故現場に向かいました。到着すると人だかりで、肝心の実久は救急車に乗り込むところでした。母親であることを告げ、救急車に飛び乗りました。乗った直後、信じられない光景を目の当たりにしました。心臓停止で心臓マッサージを受けており、だらーんとした生気のない手足。血が太ももからたくさん出ていたのでしょう、スカートに染み込んでいました。朝はあんなに元気に登校したのにどうしてこんな姿に・・。何も考えられない状態でしたが、職業柄(看護師をしています)、妙に冷静な自分がいました。「実久は確実に私より先に天国に行ってしまう。実久のそばにいたい」と。
病院到着後処置をしてくださり、処置中にも再度心臓停止しましたがなんとか実久は持ちこたえてくれました。脳外科医、整形外科医、救急担当医等、たくさんの先生方のおかげです。外傷性くも膜下出血、大腿部骨折・・、たくさんの病名が告げられ主治医から「かなり厳しい状況です」と、脳外科医からは、「脳に水がたまっているので緊急手術が必要です」と説明を受けました。私も「この状況をみればわかります。実久の意思で心臓が戻ったと思います。今後については本人に『しんどくなったら力を緩めるように』と伝えます」と数名の先生に伝えました。人工呼吸器をつけ意識のない実久に?と、先生によっては思ったかもしれません。私には実久との絆に自信がありましたから、こんな言葉が何のためらいもなく出たのだと思います。
実久もがんばりを見せてくれましたが、9日後に家族が見守る中息を引き取りました。
葬儀等を終え数日後、警察での事情聴取の際に実久を殺した犯人が当時の脱法ハーブ(現:危険ドラッグ)を吸引後に運転をし事故を起こした可能性があることを聞かされました。危険ドラッグ絡みの事故は都会の話だと思っていたので、とにかくどうしたらいいのかわからない状況でした。
その後ある新聞記者を通じ、Y国会議員を紹介していただきもう1人の危険ドラッグ被害者遺族とともに活動させていただいた結果、薬事法改正までこぎつけることができました。関わってくださった国会議員や秘書の方々、マスコミの方々には心より感謝いたします。皆さんのおかげで、実久の無念さや生き様を知っていただくことができたのですから・・。
その後2015年1月には刑事裁判(裁判員裁判で被害者参加制度を利用しました)、民事裁判も近々結審予定です。これで実久に関する一通りの裁判は終了することになります。
裁判を通じて感じたことや憤りがたくさんあります。犯人は当時20代で生活保護受給者、妻・子どもとの3人暮らし、名義貸しで車を所有していました。事故当日の朝インターネットで危険ドラッグを購入し昼間暇を持て余しパチンコをし、その帰り道郵便局の駐車場で危険ドラッグを吸引しそのまま自宅まで運転して実久を轢いたのです。この犯人は以前にも危険ドラッグを吸引し体調不良となり、家族に注意を受けていたそうです。
生活保護受給費も、本当に必要で娯楽等に使わないのであれば何も文句はありません。しかし、今回のように遊興費と殺人道具購入(危険ドラッグ)に生活保護費を使われるのは、納税者として憤りを感じずにはいられません!!また、犯人も犯人の母親(犯人出所後は保護観察の立場になる予定)も生活保護受給者ですので、慰謝料を請求したところで払えません。犯人は実久を殺しておきながら、実際には金銭的ペナルティーは何もないのです。このような現実をこの手記を読まれた方はどのように感じますか?
裁判では犯人も犯人の母親も「取り返しのつかないことをした」・「全身全霊で謝る」と発言していました。しかし実際には、実久の一周忌に手紙の一枚もよこさない始末。
また、裁判中に「出所したらいい仕事についてがんばります(犯人)」・「生活保護費の一部を貯金して息子の薬物依存の治療費に充てる(犯人の母親)」と、被害者遺族からするとはらわたが煮えくり返るような発言もありました。
生活保護費は血税で支払われていることを分かっている人の発言内容とは到底思えません。
私たちは【実久】という唯一無二の宝物を殺されて、社会に対して何の望みもありません。最近は物騒な事件が多発しています。この穏やかな日本で護身用にナイフを持ち歩いたり、むしゃくしゃしていたからと車で人をはね飛ばしたり・・。
いつからこんな日本になってしまったのか・・。
唯一の救いは【実久と私たちの立場が逆でなかったこと】と【もう実久が人災や天災に巻き込まれないこと】です。私たち夫婦のような苦しみを実久に体験させなくてよかった。実久が苦しんで哀しくて泣く姿を考えるだけで、親としては胸が締め付けられます・・。未だに私たち夫婦は実久を探し求めています。思慕の思いが日に日に強くなっています。精神状態によっては、自殺することすら頭をかすめることもあります。
そのたびに周囲の方々のフォローでなんとか踏みとどまっている日々です。
最後になりましたが、実久に関わってくださったすべての方(検事さん、弁護士さん、マスコミさん等)に感謝申し上げます。実久の報道をみて居ても立っても居られなくてとお花を送ってくださったHさん、被害者支援センターを通じて知り合えた被害者遺族の先輩やカウンセラーさん。このような事故に遭わなければ知り合えなかったとはいえ、有難い出会いでした。
それと問題提起になるのですが、この手記集はどこに配布されますか?私自身が被害者遺族になるまで、この冊子の存在すら知りませんでした。
役所やショッピングモール、生命のメッセージ展時など、配布場所にも考慮していただきますよう検討くださいませ。
長々と読んでくださり、ありがとうございました。皆様の大事な人がどうか犯罪に巻き込まれませんように・・。
<記:2015年(H27年)4月吉日>