娘の命が奪われて
公益社団法人みやぎ被害者支援センター
自助グループやすらぎ
K・H
「犯罪被害者の声第9集より」
事件の内容
平成24年4月朝方、当時23歳の娘さんは、旅先の知人宅で窃盗目的で侵入した同じマンションに住む男当時26歳に、包丁で刺殺されました。
ある時、娘の遺品の中から、真新しい花柄の手帳がでてきました。
最後のページに、こんな事が書かれていました。
プリンセス・ストーリー
「あの人は、いつも笑顔ね。」と言われる私と、誰もがうらやむステキな彼が、お互いを深く愛し合い結婚。
海のきれいなリゾートで、ムード満点のホテルに泊まり、昼はビーチで読書をして、おいしいごはんを食べる。
そんな旅行を年に一回楽しく計画。
夜景のきれいなマンションで彼と2人の子どもと毎日笑って過ごす。
きれいなものをたくさん見て、おいしいものをおいしく食べて、いい気持ちで毎日を送る。ありがとう。
娘は、明日があることに何の疑いもなく、永遠に幸せが続くと信じていたと思います。
看護師になって1年が過ぎた頃、娘は私に「やっと仕事にも慣れてきたの、これからは自分のお給料でおしゃれもしたいし、結婚し子供も産んでみたい。やりたい事が、いっぱいあるの。」と話していました。
しかし、平成24年4月30日、娘は、殺害されました。
千葉県警から電話が入り、娘さんのようだが確認してほしいとの事、状況が理解できぬまま、夫と新幹線にとびのりました。何かの間違いであってほしいと祈る思いでいると、車内のニューステロップに「仙台市の看護師、長谷川◯◯◯さん、23歳、△△のマンションで刺殺される」と流れ愕然としました。
前日の4月29日は、夕方まで仕事をし、4月から東京の大学に入学した弟のお祝いもかね弟と会い、△△に住む友人とディズニーランドで遊んでくる予定と笑顔で出かけて行きました。
娘は、警察の霊安室に安置されていました。その時は、何もかもが、一瞬にして止まってしまって、悲しいとか、辛いとか、言葉では言い表せないような感覚でした。
その後、娘の遺体は、冷たい冷蔵庫に入れられ司法解剖されました。
身体中を包帯で巻かれ、唯一、顔の部分は残していただいたので、ファンデーションと口紅を娘にほどこし、家族4人で仙台に帰ってきました。
後日、遺体を千葉から仙台に運ぶための運賃、数十万円、司法解剖した病院からの請求書。
犯罪で、娘の命を奪われたのにもかかわらず、なぜ支払わなければならないのかというやるせない思い。
マスコミに、取り囲まれる中、通夜、葬儀を執り行ない、棺にも思い出の品も入れてあげられずに娘は火葬されました。
白衣の天使が、本当の天使になってしまったのです。
私達は、生まれた時よりも軽くなってしまった、娘の遺骨の重さを、生涯忘れる事はないでしょう。
約2ヵ月後、犯人は逮捕されました。奇しくもその日は、夫の誕生日でした。
毎年、誕生日には、お祝いをしてくれる家族思いの優しい娘でした。
きっと、娘が導いてくれたのだと思います。地道な警察の捜査に感謝申し上げます。
犯人は、娘とは、まったく面識がない殺害されたマンションに住む男でした。事件直後のテレビのインタビューで、「怖いですね、早く犯人が捕まるといいです。」と、のうのうと答えていました。
被告人は日頃から盗みを繰り返しており、他人の私生活を覗いてみたいという動機と盗み目的で部屋に侵入しました。そして、物色している時に、寝ていた娘に気づかれた事で、包丁で一突きに殺害したのです。
監視カメラに映らないように行動し、指紋を全て拭き取り、他人の部屋から盗んだUSB メモリーを遺体のそばに置き、その人に容疑がかかるようにしむけました。携帯電話を持ち去り側溝に捨てました。
財布の中にもわずかな金額しか残っておらず盗んだものと疑っていましたが、犯人に弁護士が接見したとたん、黙秘を続け、何も話さなくなり立証できなかったとの事でした。
なぜ、殺害をみとめた加害者がそこまでして守られなければならないのでしょうか。
ついに裁判の日をむかえ、裁判長、裁判員の皆様には、娘の無念な思いを伝え、娘の命の尊厳に踏み込んだ判決をと、夫と息子の3人で法廷に立ち、訴えました。
判決は、懲役20年。
主文、被告人は、まだ若く──被告人を支える家族がいる──更生の道──。
虚しく響く裁判長の言葉、娘も23歳の若さだった。
死んだ人間の事は、蚊帳の外のような裁判。これが、正義の名のもとに法と良心にもとづいた公平な判決なのか。
私たちの税金で衣食住を与えられ20年で償いましたと、再び社会で自由な生活を許される。
娘は、死刑よりも怖い思いで死んでいきました。
何も悪い事もしていないのに、死の覚悟もできずに、最後に言い残す一言も言えずに、家族に看取られずに苦しみ死んでいきました。
どんなに反省し更生したとしても、それは、加害者や社会のためになる事はあっても、奪われた命が戻ってくることはないのです。
だからこそ、厳罰に処してくれと思うのが遺族の心情なのです。
裁判長、裁判員になられた方々には、せめて、娘の遺影に頭をさげて退場してほしかった。
民事裁判でたとえ賠償金を勝ちとっても、被告人から支払われることは稀で、支払えなくても、出所には関係ないと聞きました。これはいったいどういうことでしょうか。
この現実を、国や自治体は、どこまで把握されているのでしょうか。
いまだに、謝罪の言葉も1円の賠償金もありません。
償いとは、被害者や被害者遺族が納得させられるような償いでなければ意味がないのです。
三回忌を終え、2年半が過ぎました。周囲の人々は、「時間がたてば、心の傷は癒える。」と言って、慰めてくれましたが、そのような事はありませんでした。
月日がたつことで、逆に悲しみは深まり、苦しみは氷の塊となって心の奥底にとどまったままです。
毎朝、悪夢だったと思い込みながら目覚めるのです。
遺族の苦しみは、一生続くのです。今でも言葉では、言い尽くせない程の無念な思いや怒りや悲しみを抱えています。それでも少しでも優しい気持ちを取り戻して、前向きに日常を生きていくしかないのです。
家族や夫婦の間でも、お互いを思いやるあまり、辛い感情をあらわさなくなります。
職場でも家庭でも明るくふるまってしまうのです。
そんな時に、出会ったのが被害者遺族会の自助グループ「やすらぎ」でした。
やっと、わかちあい泣ける場所に、たどりついたのです。
現在は、夫と2人で一年中花をつくり、週末には、必ずお墓参りに行っています。仏壇とお墓にはいつも花をたやさず供えていて、天国でも幸せであってほしいと、亡くなってもなお、子の幸せを願わずにはいられません。
娘を失ってからは、死ぬのは、怖くなくなりました。
天国の存在を信じて、娘との再会を心の支えに生きているのです。
判決の日、当時19歳の息子から、もらった手紙です。
◇ ◇
両親へ
裁判おつかれ様でした。
あの日から今日まで、俺にとっては、辛くて長い日々でした。
結果は20年、きっと納得はしていないと思います。
俺だって全く納得はしていません。どうにもならない事ってあるんだなぁと心の底から絶望しています。
でもね、俺は、父さんや母さんに姉さんに対して申し訳ないって気持ちだけは持って欲しくない。
正直、俺は大人になってからの姉さんを誰よりも知っている、だから分かるんだ。
それは、俺達が法廷の場で、勇気を出して姉さんの無念をはらそうと努力した姿を、姉さんは、しっかりと見てると思うから。
姉さんからすれば、被告が死刑だって無期だって、どんな結果に終わっても殺された無念は変わらない。
結果よりも俺達が姉さんのために全力で立ち向かったことの方が、姉さんからすれば、何倍も嬉しかったんじゃないかな。
あなた達の娘なら、きっとそう思っているはずです。
だから、これからの人生、今回の裁判を引きずって生きて欲しくはないし、姉さんもそれだけを願っていると思うと確信しています。
姉さんが一番に望んでいるのは、父さん母さんの幸せです。
これは、絶対です。自分が後々やったであろう親孝行の代わりに姉さんは、必ずこう思っていると思います。
だから、姉さんのためを思うなら、2人仲よく(これ大事!!)めちゃくちゃ楽しんで、いろんな事をして生きて下さい。
息子・娘からしたら、自分が死んでしまったせいで、両親が残りの人生、不幸に生きていく、これ程、苦しい事はありません。
大切な娘を失って、それでも前向きに生きろなんて、俺からはとても言えないけど、でも、本当に姉さんを愛しているなら、そうしてください。
姉さんは、2人で遊ぶ時、「この両親で良かったね。」といつも言っていました。
さすがに直接、父さん母さんには、言ってないけど俺には言ってました。
仕事に家事に忙しいけど、いつも見守ってくれた母さん。
疲れていても、家族との時間を優先して、いろんな所に連れて行ってくれた父さん。
姉さんは幸せでした。
そして、それは、これからも変わらない。姉さんは、天国で幸せに生きていると思います。
そう信じて、俺達も姉ちゃんに会う日まで精いっぱい幸せに生きよう。
息子より
◇ ◇
生きることは、愛することのようです。