交通安全を祈る公園‐「ふみやの森」‐
「碑に刻まれた文」‐ご両親の思いをこめて‐
公益社団法人みやざき被害者支援センター
自助グループ「あおぞら」
Y・S
「犯罪被害者の声第11集より」
運転手の皆さんへ
不幸にして、最愛の息子を、交通事故で亡くしました。野球の練習後、坂道を、自転車を押して帰る途中の事故です。
息子の夢は、プロ野球選手になることでした。親バカと思われるでしょうが、確かにセンスはあったと思います。プロ野球選手とまではいかなくても、せめて中学3 年まで野球がどれくらい伸びていたか見たかったものです。おそらく郁也のこと、「野球しようや」とか言って、いろんな人に声をかけて天国でグローブやバットを握っていることでしょう。
郁也は、妻が3 日かかって生んだ長男です。兄弟の面倒をみたり牛の世話をよくする、家族思いの、そして友達思いの優しい子供でした。
息子の供養と、こんな悔しい、悲しい思いは、我が子だけでいい、一人でも、一件でも悲惨な事故がなくなればという思いでこの碑を建てました。
息子の死を無駄にしないためにも、皆さん、安全運転をよろしくお願いします。
ふみやへ
悔しいだろうね。まだ生きたかったろうに。やりたいこと、行きたい所がたくさんあったろうに。お父さん、お母さん、啓太、恭平、なつき、じいちゃん、ばあちゃん、おじちゃん、おばちゃん、そして、先生、友達、悔しくて、悲しいよ。夢であればいいと思ってるよ。でもしかたないよね。これからは、家族や友達、野球部のみんなや、今まで郁也を支えてくれた先生やいろんな人を見守り助けてやってね。
郁也はきっと、みんなの心の中に必ずいてくれるよね。家族や、みんなの思いでここに「ふみやの森」をつくってやるよ。
郁也が寂しくないように、四季折々の花が咲き、果物が実を付け、くわがたやかぶと虫、そして小鳥が群がり、みんながいつでも来てくれるそんな、森にしてやるよ。だから安心してね。
息子よ、天国で安らかに眠れ。
八代中野球部、名サード笹森郁也
背番号「5 」
父、母より
天国の郁也へ
公益社団法人みやざき被害者支援センター
自助グループ「あおぞら」
母 H・S
泣いて泣いて泣きました。
涙が出だすと頭が痛くなるくらい泣きました。
でも郁也は帰ってこない。
だから尚更悲しいのです。何を考えている訳ないのに、日に幾度となく自然と涙が頬を流れていました。
昔から現在に至るまで、何らかの形で子どもを亡くした方は、みんな私のような思いで生きていたのかと思うと、胸が痛く苦しくなります。本当なら生きていられることに感謝していきていかなければならないのに、その生きることさえつらく感じる毎日でした。
生まれて間もない娘(当時1 歳半)のことも、次男三男のことも考えられない私だけのおもいからすれば、あの時はもういっそのこと家族全員が一緒に…とも思いました。その方が気持ちの上では樂だったかもしれません。
夢とも現実とも定かでない日々が続きました。
「ああやっぱりいない!やっぱり郁也がいない。」
ことある毎にそう思い続けて、もう10年という月日が過ぎました。
悲しいです。悔しいです。
生きていたならどんなに成長していたことだろう。
毎日野球部で頑張っていただろうすがたを思い浮かべると、とても辛くなります。
家族6 人が揃っていたあの幸せな頃に戻りたい。ただそれだけです。
今は亡き兄へ
公益社団法人みやざき被害者支援センター
自助グループ「あおぞら」
N・S
ふみ、天国で元気に過ごしていますか。
私は幼く、ふみの事、全く覚えていません。でも、やさしい兄弟思いの兄だったのだろうと想像はつきます。
あの頃は、あんなに小さかった私も、来年は中学生です。
私とふみは、12歳もの年の差があり、ふみが生きていたら、どんな顔で、どんな仕事について、どんな生活を送っていただろうと、ふと考えたりもします。
ふみの命日には、たくさんの友達が来てくれるね。こなかった年はないよね。そんな、いい友達そんなにいないと思うよ。だから私はふみをそんけいしたりもするよ。わたしもそんな友達ができるよう努力していきたいと思います。
生きたくても生きられなかったふみの分まで勉強して、立派な大人になり、ふみに自慢できるような人生を送るよ。
そんな私の人生をこれからも見守って下さい。