母の悲しみ
公益社団法人ぎふ犯罪被害者支援センター
匿名
「犯罪被害者の声第11集より」
息子との別れは、突然やってきました。息子は、交通トラブルから見知らぬ男の一方的な暴力で命を奪われました。当時息子は、31歳の若さで、5歳と3歳の二人の娘の優しい父親でした。あの悪夢のような日から1年6ヶ月の時が流れましたが今だに息子のことを思い泣かない日はありません。親にとって、子供を自分より先にあの世におくる事程、辛いことはありません。しかも事故や病気ではなく、他人の手によって殺められた子を。まるで心臓を鋭利な刃物で突き刺された如く、生きて地獄を見た気持ちでした。母親にとっては、子供が何歳になろうとも愛しい我が子です。街でよく似た人を見かけると、「もしかしたら…」と息子の帰りを待っている愚かな母です。私達には3人の子があり、息子は姉・兄の末っ子で家族の皆から可愛いがられて育ちました。
加害者によって、息子の命のみならず、私達遺族の生活もズタズタに壊されました。あの日以来、家の中は会話もなくなり、やり場のない悲しみと怒りで泣きながら口喧嘩した事も度々ありました。お互いがお互いの気持ちを十分解っているのに、止められない感情でした。
私達が最も心を痛めたのは、残された嫁と二人の子の将来の事でした。「パパは骨になっちゃったよ」「パパは、お星様になって見ているの」と幼気な言葉に涙し、夜になると「パパに会いたい」と泣きじゃくる姿に何度も胸が張り裂ける思いでした。
私は直後、この辛い気持ちを誰かに聞いて欲しく、藁をもつかむ想いで、ぎふ犯罪被害者支援センターへ連絡してみました。泣きながら話す私の言葉ひとつひとつを優しく受け入れて頂いた、あの時の安心感は今でも忘れられません。その日から犯罪被害者家族として、何も解らない私達を支援して頂ける日々が、始まりました。何回かお会いする機会も作って頂き、進むべき裁判への助言や心のケアも親身にして頂き、今思えば支援センターの存在すら知らなかった私が、ふとかけた電話から、こんなに助けて頂く事になるとは、思ってもみませんでした。支援センターの皆さんからの助けがなかったら、恐らく私は心の病を、患っていたことと思います。
私達遺族は息子の無念を晴らす事が最後に、してあげられる想いとして裁判に臨みました。裁判は事件の十ヶ月後に傷害致死事件として開かれましたが、そこに辿り着くまでには、警察、検察、弁護士さん、支援センターの皆さんに支えられ、前に進むことができました。
法廷で初めて、私達を奈落の底に突き落としておきながら、五体満足で頑強な体の加害者を目にした時は、怒り、憎しみ、悔しさが、こみ上げ、睨みつけながら涙がポロポロ流れ出ました。裁判は裁判員裁判で行なわれ、私達遺族は、人の命を奪った者は命で償うべきだという思いで立ち向かいました。法廷では息子が殴られ意識を失う前後の現場での状況が明白になり、辛く苦しい時間でした。まるで二度目のお葬式をしているような悲しいものでした。隣りで遺影を手に堪えている姉兄の姿も不憫でなりませんでした。真冬の冷たいコンクリートの上に叩きのめされ一瞬でも何か思っただろうか、苦しくはなかっただろうか。三十年余り大切に育ててきた息子を、アマチュアとはいえ数年間もリングに上り、格闘技で鍛えたその手の拳ひとつで、容赦なく命を奪った加害者を心底恨みました。息子は加害者の最初のアッパーカットによりほぼ即死状態であった事が司法解剖医により証明されました。病院に運ばれた時は人工呼吸器の音だけが空しく病室に響いていました。お別れも、ありがとうも言うことなく逝ってしまいました。
加害者の弁護士は傷害罪だけを主張し、死因は既に息子の体自体に死に至る要因があったと主張しましたが息子は病歴もなく健康体であった事が立証されました。弁護士といえども息子の死への尊厳を損なう屈辱的な言葉に深く傷つけられました。五日間の審理を終え判決の日、「被告人を懲役八年に処す」裁判官の声に私達は複雑な思いでした。一人の人間を暴力によって命を奪った罪がたった八年の刑で許されるのか。無念を晴らしたい一心で臨んだ裁判でしたが如何なる刑罰でも息子は帰ってこない、私達の悲しみは一生続く事に改めて気づかされました。現在に至るまで加害者からの謝罪の言葉は、ありません。
何時の時代も被害者側の気持ちは置き去りにされるのでしょうか。もし貴方の大切な家族が他人から命を奪われて、その代償がたった八年の刑期に納得がいきますか。毎日のように報じられる犯罪の影で悲しむ被害者家族に今一度目を向けて頂ける事を願います。これから先、起こり得る犯罪の抑制力にもなり、また、犯罪被害者の立場をも考慮した法改正が成される事を願っています。
息子は八歳からサッカーを始め自分で立ち上げた社会人フットサルチームのキャプテンとして皆を引っぱってきました。努力し純粋に生きた息子を誇りに思います。息子が十代の頃、私は両親の介護に追われ、息子に淋しい思いをさせた事があります。謝りたいこと、いっぱいあります。まだまだ話したいこと、いっぱいあります。初老の息子も見たかったし「母ちゃん」がお婆さんになっていく姿も見て欲しかった。毎日淋しいです。会いたいです。何時の日か、あの子に会った時には、思いっきり抱きよせたいです。