犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 犯罪被害者遺族と加害者はどう向き合うのか

犯罪被害者遺族と加害者はどう向き合うのか

公益社団法人埼玉犯罪被害者援助センター
自助グループ「彩の樹」
K.A
「犯罪被害者の声 第18集」より

私は交通犯罪によって我が子を奪われた犯罪被害者遺族の一人である。この手記に目を留められた方々に想像していただきたい光景がある。それは血で染まった我が子の衣服を自らの手で陽の光に干す父母の姿だ。想像できるであろうか?
法曹、警察、医療、政治、行政、報道の関係者、そしてお読みになっていただいている方々の中に、少しでもこの恐ろしい光景とその背景を感じ取ってもらえるのなら、被害者、被害者遺族は、法治国家であるこの日本に住まうことができ、少しは心落ち着ける瞬間が持てるのかもしれない。

本稿執筆中に十度目の命日を迎えている。亡くなった当時二十歳の長男は、建築を学び、友を愛し、争い事を好まず、仲間たちと賑やかに過ごすことを日常としたごく普通の青年だった。こうして自身の身に降りかかった事を回顧されながら手記として記されていることに、長男はいささか抵抗感を覚えているに違いない。
当たり前だが、犯罪には加害者と被害者が存在する。私は、その加害者とどのように対峙し対応していくべきなのか、現在も解決できないでいる。
一方的に危害を加え命を奪った加害者へは、禁固2年6 ヶ月、さらにその年数を越える執行猶予付き判決が下った。私は、加害者の生活に実質的な制約がほとんど無い刑事罰を受けただけで処理されてしまう現行の刑事罰はどうしても納得がいかない。また、この感情の処理方法も今のところ見つけられていない。
私の代理人となり支えてもらった経験豊富な弁護士が、法の社会における交通犯罪の現状を語ってくれた。
「被害者と加害者は木の葉のごとく表裏一体。今は被害者でも明日は加害者になる可能性がある。こうした交通社会のバランスをとるため、先人たちがガラスの城のような繊細で緻密な法律を作り秩序を保ってきた」
至極納得できる話である。
しかし、加害者の不注意が招いた犯罪行為は、事故つまり“思いかけず起こった悪い出来事”として軽く見過ごしてしまってはならないと考える。一部の人間の傲慢な車の運転が人の命を奪ったことは事実である。さらにこの行為によって罪が成立する立派な犯罪である。この事象を「犯罪」ではなく「事故」という括りでまとめられてしまうことに非常に抵抗感を感じる。

遅くなってしまったが、長男の身に起こった交通犯罪の内容を記さなくてはならないだろう。
2014年(平成26年) 5月の早朝、所属する大学の吹奏楽団による老人ホームでの演奏会に参加するため自宅を出発した。あと数分で自宅最寄駅に到着するはずであったが、繁華街を通る国道にある信号機の無い横断歩道上で、2トントラックの右前輪、右後輪で2度頭部を轢かれ、悲しくも絶命してしまった。救急隊員、医師からその状況を確認する気がどうしても起こらず、搬送先の病院で死亡確認されたという事実だけが自身に記憶されている。その日の夕刻、警察署での検視が終わり、変わり果てた姿で長男が所持品と共に無言の帰宅をした。当時同居していた八十九歳の祖父と八十七歳の祖母は内孫ということもあり幼い時から長男を可愛がってくれていた。その二人の悲痛な表情と「私が代わってあげられたら・・」という漏れ出てきた言葉が、今も鮮明に脳裏に焼き付いている。手元に戻ってきた長男の衣類は血に染まり、処分するしかないと思っていたが、周囲の者から「証拠品になるかもしれないから破棄しないように」、とアドバイスを受け保管することとなった。しかし、日を追うごとに異臭を放つようになったため、冒頭に記したように衣類を天日干しするしか方法がなく、父母共々無言の中、淡々と作業するしかなかった。

このような悲惨な出来事が起こったにも関わらず、加害者は社会復帰を優先する刑事罰に留められ、一方的に被害者側のみが苦痛を感じ続けなければならない。この不条理はやはり納得いかない。であるならばこの出来事を犯罪として扱い、「加害者」を「犯罪者」扱いすれば納得いくかというとそういうことでもない。この心の落ち着きどころが無く、やりきれない感覚はどうしたら晴れるのだろうか。

仮に自分自身が加害者となったことを想定した場合どのような行動をとるであろうか。
一度加害者となったならば決してその罪は許されないという前提で、加害者は、被害者、被害者遺族がどのような謝罪の言葉を聞いてもらえるかを必死に考えるべきである。自身の罪に対し深く深く反省していることをどのようにして理解してもらえるか、懸命に、必死に考え尽くすのである。それでも決して許されることはなく、被害者、被害者遺族がそうであるように加害者も一生忘れてはならないし、心に深く刻まれた傷を持ち続けなければならない。

どのようなことも許すことができる懐が深い人間になりたいし、心豊かに生きる、そのような人生を歩みたい気持ちは大いにある。しかし、我が子を奪った傲慢な人間をどうしても許すことができない自分がここにいる。加害者を恨んでも長男の命が回復されることは決して無いことを頭の中で理解している。せめて人々の記憶の中に、単なる過失、事故として処理されるのではなく、それを「交通犯罪」と表現し記憶にとどめてもらうことを私は望んでいる。

近代の流れは、危険運転致死罪の厳罰化、被害者遺族と加害者の接点を見出す「心情伝達制度」、そして犯罪被害者支援制度の拡充へと、被害者、被害者遺族に軸を置いた変化の兆しはある。一方で、加害者の社会復帰に向けた「加害者支援」等の考え方も存在し多様化している。

未だ私自身は、被害者、被害者遺族と加害者間を埋める何物かは見つけられないまま本手記を記している。何物かは一生見つけられないかもしれないし、そもそも無いのかもしれない。しかし、見つける努力は続けていきたい。そして、本手記が、日本国内での犯罪被害者、被害者遺族と加害者との関係を議論するきっかけになっていけば幸いである。

「謙虚は美徳の母」とも言う。乗り物のハンドルを握る、握らないにかかわらず謙虚な心持ちを忘れないでいて欲しいし、自身もそうありたい。
非常に個人的で感情的な内容を伴う手記を最後までお読みいただき感謝申し上げる。

注意)「事故」とは「思いがけず起こった悪い出来事」とある。(岩波書店広辞苑より)この手記では、過失犯が主である交通犯罪が対象となっている。しかし過失であったとしても刑事罰を科されることもあるため、ここでは「事故」、「交通事故」ではなく「犯罪」、「交通犯罪」と称させていただいた。