人間五十年 化天の内を比ぶれば 夢幻の如くなり
公益社団法人にいがた被害者支援センター
自助グループ「ひまわり」
G.Y
「犯罪被害者の声 第18集」より
薔薇という木は花の美しさに似ず強い木である。
庭に数本の薔薇を植えてそれぞれに名前を付けているが中につる性のものが1本あってそれを二階の息子の部屋の窓まで届く様に育てていた。それがある日の台風で根元から1m程の所で折れてしまった。大概の場合折れた所から新芽がでるのだが あっさりと枯れてしまった。縁起でもない、と悲しく感じた。
携帯に息子の名前で無意味で理解不能な文字と数字の羅列が送られて来た。不審な感じがあったが、尋ねる程でもあるまいと保存して放置した。
そして、秋が過ぎ冬も過ぎ、早春のある日、私たち夫婦は早朝から理由のない不安感にさいなまれ、耐えきれなくなった主人が先に休み 私はただおろおろと時間を過ごしているとき電話が鳴った。「こちらは藤沢市民病院ですが、息子さんが一寸お怪我をしてこちらに来ておられます。これから直ぐに来られますか?」新幹線は既に無い。「明日の朝になりますが」「そうですか、来ていただきたいのですが」電話の声が代わった。「救急担当の〇〇です。」「交通事故です。開胸して心臓マッサージもしたけれど駄目だった、ごめんなさい、ごめんなさい、僕には出来なかった。ごめんなさい」と叫ぶと泣き出した。しばらくして涙を拭った彼から詳しく話を聞いた。何を聞いた所で無意味だった。電話を切ると娘に電話をした。悲鳴を上げたがテキパキと手配をし、車椅子のお祖父ちゃんの為に男の子を残す、残り全員で、出たとこ勝負で来た電車に乗ろう、と決めた。目覚ましを掛け、目が覚めた所に娘家族が着いて駅の売店でお昼を買い私達一家は藤沢に着き孫の一人と落ち合い、藤沢警察で弟と出会って、警察車両で葬儀社に向かい、そこで息子と会うことになった。
女の孫達は抱き合って盛大に泣き、私は「お母さんには見せられない」と別室に隔離された。しかしその前に、私は息子の髪の毛を分けて、そこに土とも泥ともつかない肥料に似た灰色の粉がびっしりと着いている事を確認した。
その後私は警察で調書を取られる事になる。これからの流れは仕事柄経験豊かな弟に任せるしかなかった。
ネットなどで情報は伝わってはいたが、弟の発案でまず加害者の両親を息子の勤務先の病院に呼び出した。病院側は目を白黒したが、事務長が「自分の責任で」と応接室を開けてくれた。
加害者夫婦はT シャツ1枚で飛んできた。そして開口一番母親が言うには「息子は未成年です。ですから罪にはなりません。示談にして下さい。そして1日も早く仕事につかせて下さい」だった。
私が「では、富士山ほどお金を積み上げたら人間が作れるとでも言うのですか?」と答え、弟が「私達はそんな事はしません。とことん争います。もう弁護士も頼んで来たから」と言い、私に向かって「ホントだよ。結婚式に来てただろう」。そう言われても結婚式に来る人は全員同じ服装だから分からなかったけれど、「何という早業!」と呆れかえり、加害者夫婦はそそくさと帰り支度をし、私は「葬儀社によって被害者に逢ってから帰って下さい」と追い打ちを掛けた。
流れとしてはこのようだが、既に問題点がある。
まず刑事事件の場合だが、加害者側が最初に「示談」を求めているが、示談に出来るケースは、加害者側に十分な誠意と資力がある事が必要である。しかし加害者にそのような態度は見られず、殺人を簡単に考えている等の点からそれを受ける事は無理だった。現在のいわゆる非行少年と両親、友人、知人などにとっての交通事故はガードレールをへこませた位でしかない。
次に、加害者側には国選弁護人が用意されているが、被害者側は自分の費用で自分の知り合いなどに刑事事件の弁護を依頼しなければならない。
以前某弁護士の妻が殺されて「あすの会」が作られた時、被害者側だけが弁護士を自費で用意する不公平を取り除く様に、と要求している。また、被害者家族は親戚が来てくれても休む場所も無ければ、話をする場所も無い。昔と違って勤務先が遠方の場合も多い現在 被害者家族の親戚の休める場所の用意が必要になる。
又、突然の出来事でお金の準備が無い上にATM の場所も分からない場合が多い。そういった場合の被害者に対する保護も必要である。
警察署に戻り、調書作成がはじまる。
多分昨夜は徹夜だったと想像出来る刑事は風邪声だった。それでも懸命にコンピューターを叩き、時々私を慰めてくれた。「あいつめ、 のぼせやがって!」と毒づきつつ「まだ特定の組には属していないようだが、お仲間はいる」と情報を流しながら。
しかし警察にも事情がある。全部が終わってから届いた調書には藤沢には悪い人はいない、とばかり、加害者の夜遊びなど前歴は全部隣の町の出来事になっていた。まるでS海岸がどこかの町にあるように。
その後少年審判が開かれた。以前は被害者家族は審判に出席できず 何時の間にか終ってしまう形だったとのことだが、これまでの沢山の被害者遺族の御努力で被害者が審判の席に出席出来、意見を述べられるように変化した、と聞いていた。が、実際には、それらは全部形だけで、紙に書いた意見を加害者も裁判長もいないがらんとした部屋で被害者家族が一人で読み上げ、原稿を裁判長席とおぼしい場所において来るだけで、むしろ被害者遺族の気持ちを逆なでし、傷口に塩をぬるように変化しただけだった。
更に問題点は、加害者が未成年とあって、家裁という家庭問題を処理する場所で交通事故死という刑事事件も扱う場所になったことである。
警察の話では心優しい裁判長とのことだった。確かに心優しく加害少年の家庭問題だけに終始して無残にも轢き殺された被害者の心情などには一切触れない。
問題の焦点は、未成年者に成人と同じ権利だけを認め、成人と同じに車を持たせて公道を走らせ、さらには無辜の人間を無残にも轢き殺したという厳粛な事実については一切触れなかった事に絞られる。それは殺人という刑事事件を家庭問題しか扱わない家裁での審判で扱う形にしたことで、殺人の事実を家庭問題にすり替えてしまった事だ。
その結果、殺された被害者は刑事事件の被害者ではなくなり、殺した加害少年は家裁での審判に該当する気の毒な未成年者になり、被害者というものは襤褸切れと同じにそこに存在しなくなった。その考え方の根拠が、未成年者を無条件に保護する目的で戦後に作られた少年法にある事は間違いない。しかし裁判長も検察官も戦中戦後の日本の実情を知らず、頭の中は法律の条文だけしかない。
警官は「あの裁判長は人間味がある優しい人だから」と言った。仮に優しいというならその優しさは加害者だけにしか向けられていない一方的で見せかけの仮の優しさにしか過ぎず、前途の全部を失い、苦痛と嘆きの中で一生を終えなければならなかった被害者の苦しさ、悲しさ、つらさなど一切顧みられない一方的な優しさに過ぎない。
無辜の被害者は まるで襤褸切れのように轢き殺されたが、あくまでも社会の中心で役立つ一人の人間だった。その考え方は不公平、不平等で、少年法が作られた当時の社会情勢を知らない考え方としか言えないし、 裁判長も被害者と同じ経験をしなければそれを理解することは出来ない。
弁護士は、加害者には一生十字架を背負って貰いたい、と言った。しかし加害者にその真意が理解できただろうか。普通の非行少年達と同じに、少年院で僅かの期間おとなしくしていただけではないだろうか。
普通高校から通信制高校に転じた加害者とその母親は他家の子供と同じにしたい、やりたいと願っていた筈だ。だが普通運転免許取得に8月から翌年2月までかかり、その間にも他人の車を借りて自損事故を起こしている能力しか持ちあわせていない、という事実についても裁判所の判決は全員を盲目にさせた。
裁判官は時計の針を巻き戻す事も、被害者の受けた被害を全部理解することもできない。検察も裁判官も我が子の事故死を体験するべきだし経験者に担当させるべきだとまで思う。
車とは単なる鉄の塊にすぎず、人間が乗ってエンジンを掛けなければ動かない。動かなければ事故にはならない。だから車の事故と呼ぶのはふさわしくない。むしろ 殺人と呼ぶのが正しい。
加害者は自分の母親を被害者と同じに轢き殺す事が出来るだろうか。
余りにも一方的で偏向した裁判ではないだろうか。
事件の全部が記載された警察調書は、審判が終わって被害者が何も出来なくなってから事故当時着ていた着衣と靴が同時に送られて来た。被害者家族にとっては残酷そのものの処置である。
警察は「春先で、高校卒業直後で、運転技術未熟な高校生が起した単独事故」としてキャンペーンを張った。が、実態は「免許取得直後で、未成年の通信高校生が、お仲間と一緒にゲーセンから帰宅途中にセブンの駐車場内でおこした事故」であって、しかも現場としてチョークで書かれた大きな○印は駐車場と道路との境界ぎりぎり近くにあった。コンビニの店員は「本当に駐車場の中?私には歩道に見えたけど」と教えてくれたし、葬儀社の係も、「春先で厚い綿入れのコートを着ていたのに、遺体の脇腹にタイヤ痕があった」と言ったが、「では、民事を起したら証言台に立ってくれますか?」と尋ねた結果は「出来ません」だった。多分その葬儀社は警察御用達だったと考えられた。
警察は「コンビニ小母さんや葬儀社の言葉を信じるな」と言い張った。
しかし提供されたコンビニのカメラの映像には被害者が走っている姿が映っている。
同乗していた加害者の過去の同級生は、「あ、人。と教えた」、と証言しているが、加害少年は車を止めていない。これでは運転未熟どころか運転不能者ではないか。それでも免許は与えられた。
事件の原因は免許を与える事しか頭にない試験所ではないのか。ネット上では、免許取得時に知能検査が必要、というのがあった。しかし実際には次回も同じで免許が与えられる。
現場は国道で、裁判官が親切にも「その時道路が混んでいたか」と尋ねたのに対し加害者は「混んでいなかった」と答え、更に「ゼブラゾーンを時速10Km で走って来て、駐車場に入ってから30Km に加速した」と答えている。
事件現場は被害者の生家と周囲の状況が似ている。同じように国道を走り、T 字路にコンビニがある。同じようにゼブラゾーンがある。混雑する国道のゼブラゾーンを時速10Km で走り、駐車場に入ってから30Km に加速する事は理解できない。(現在はゼブラゾーンは消えている。)
更に事故直後加害者は被害者の救助をせずに、まず先輩と呼んでいるお仲間に電話をしていて、救急車は加害者が次に起した事件の被害者が呼んでいる。(ダブル事故)
非行少年やその両親、お仲間は、「我々未成年は何をしても少年法という法律が守ってくれている」と信じている。一方我々被害者は自分の前を走る車をどのような人間が運転しているか、を事前に知り、それを避ける方法がない。せめて車の前方に大きな真っ赤なシールでも貼って、これが未成年の運転する事故車であり更に人身事故車であることを事前に知る事を義務付けて貰わなければ危険を避ける方法は一切持っていないのだ。
少年法が作られた昭和20年頃日本は焼け野原で、米軍のジープ以外車など一台も走っていなかった。そして当時の少年は孤児であって食べる物にもありつけない、という実情だった。現代のように非行少年が車を持つことで人並みである、などという考え方は存在していない。そして警察も総理大臣ですらその事実を知らない。
あすの会の会長が「そういった子供に現在の教育制度を当てはめるからいけない」と述べた記事を読んだ。しかしそれを実行するのは子供の両親だけだ。愚かな母親が「人並みに」と車を買ってやったことが一番の間違いだった。が、その母親は裁判所で「うちは子供に月2万円づつ小遣いをあげています。お金に不自由はさせていません」と胸を張った。
更に、加害者とその家族は被害者に対して一言も謝罪をしていない。それを許しているのが少年法である。そしてその法律を使っているのが裁判所と裁判官であり、裁判は、殺された被害者も含む私達が支払った税金で運用されている。殺された被害者は自分を殺した加害者の更生費用まで支払っている。堪りかねた被害者達が声を上げてはいるが、国は何もしていない。
その後審判が開かれた。
以前は少年審判は非公開で行われ、被害者には知らされず、何も分からないうちに全部が終ってしまうとのことだったが、多少は進化したのか、と考えた。
家裁は地裁内にある。私は息子の位牌を白いバスタオルに包み抱いて法廷に入った。しかし、そこには加害者も裁判長もいなかった。誰もいない所で私は意見書を開き読み上げた。そしてそれを裁判長の前とおぼしい場所において席についた。
被害者家族は荷物を全部ロッカーに入れ、法廷に入る。被害者遺族の席は四方を柵に囲まれており、藁半紙半枚とちびて書けない鉛筆一本が貸し与えられた。四隅には守衛が座り、中央に加害者席がある。片方に相手方弁護士、検察、等の席があり、被害者弁護人は出入り口近くに一人で座って裁判長が来廷する。つまり私の意見書は加害者には一切伝わらない。これが実際の変化、いや進化である。
裁判官は警察で聞いた通り優しかった。問題の中心はあくまでも少年の家庭問題で、少年のそれまでの経歴が始まり、次いで事故の説明になった。裁判長は少年に尋ねる。「無辜の人間を轢き殺した事についてどう考えるか」。少年は意気揚々と答える。「反省しています!!」その瞬間 法廷の空気が凍り付く。加害者弁護士も加害者を鋭い目で見ている。が、それでも加害少年はたじろがない。自分は未成年、絶対に罪にはならない、という断乎たる自信がそこにある。裁判長は次々と質問する。「お父さんはこの問題についてどう思いますか」。父親は肥った体をくねらせて「そんなこと言われたってー、どうしていいか分かりません」と答え、裁判長は無言になる。母親は裁判長の言葉にいちいち米つきバッタのように体中で大げさにうなずき、ただただ逆送を防ぐ為に絶対恭順の意を示している。
母親が答える。「うちは子供に月に2万円の小遣いをあげています。お金に不自由はさせていません」最初病院であった際も、加害者の母親はそういった発言をした。そこには被害者は50万円のお金すらない貧乏人だから殺しただけじゃないか、という気持ちが透けて見える。根本には何か大きな誤解があるようだ。
両親は日本語が理解できていない。2万円の小遣いがあると事件や事故に繋がらないとでも考えているようだ。
加害者はこのようにも答えている。裁判長が「そこ(事件現場)までどうやって来たのか」と尋ねた時、「ゼブラゾーンを時速10Km で走って来て、駐車場には時速30Km で入り…」と答えている。私は車に乗らないので理解不十分なのだが、ゼブラゾーンを時速10Km で、は理解出来なかった。そこは国道でかなり混雑する。免許取得まで8月から次の2月末までかかっている事などから交通法に疎いとしか考えられなかった。
それでも、何もかもが少年法でかき消されてしまう。多分殺人でも放火でも、…。
仮に、未成年でも免許が取れるとしよう。そして事故で殺人を起こしたとしよう。どのようなケースであっても何もかもが少年法で消えてしまう。被害者は完全に犬死にである。このような未熟な少年をそのまままた社会に戻すのである。これが日本の正義だというのだ。そしてそれを未然に防ぐ方法は私達被害者にはない。
走って来る車にどのような人物が乗っているか、など分かるはずがない。それを防ぐには免許取得時の調査が必要な筈であるが、不十分である。免許を与えて車を買わせる事が自動車会社にとっての利益であるから保険制度が存続しているのだが、そこには被害という観念が抜け落ちている。
現在の医学では、人は一度死ぬと生きかえる事はできない。
その厳然たる事実が事件全体からあっさりと抜け落ち、保険金額がそれに代っている。「お金は大事ですよ」と聞かされる。本当にそれが正しいのだろうか。私は加害者家族から「たかが50万円のお金がないから車を持たせないのか」と言われた。医者の中には、自分の将来に影響するから、車を持たず運転もしない人がある。
差別という言葉がある。区別という言葉もある。戦後民主主義という言葉が流行し、区別は悪とされるようになった。そこには努力という観念が抜け落ちている。弱い者を保護することは美しいとされ、保護が当然となった。戦後の後始末には持てる者から取り上げる事が当然となった。現在保護するに足る未成年ではなく努力しない者を保護することが当然となってしまった。この事件はその土壌から生れた。しかしネットでも正しい考え方は散見する。
私達被害者は正しい保護を求めている。被害者支援法にはまだ足りない部分がある。それは、保護ではなく被害者の持つ権利である。被害者支援法には少年法に対抗出来る力がない。つまり六法には入れない事である。そこを訂正して、被害者支援法に六法に対抗出来る条文を加えて欲しい。
しかし少年法の問題以前に、日本には昔から「お上が罪を裁く」という考え方がある。そこには被害者が存在せず、被害者は加害者の犯した罪の証拠物としてむしろをかぶせられ外に放置され、両者の間に平等性はない。昔の法律ではそれに不自然さが感じられないが現在の四民平等の世界では不自然である。その結果が被害者支援に繋がっていった。
一人を殺しても罪にはならず複数の人間の死がなければ加害者は罪にならない、と聞く。その根拠はどこにあるのか。一人であってもそこにはそれまでに多数の人間が存在しているではないか。
我々は必要だった復讐権を失った。殺された被害者は裸体で放置され、白布一枚あたえられない。一方加害者は暖房のきいた部屋で暖かい食事が与えられる。その費用は殺された被害者を含む我々の支払った税金で賄われる。この差別の残酷さに涙なしでいられようか。
主人は、「我々被害者には一言の反論すら出来ないのか!せめてそのバカ親を一回でいいから殴らせてくれ」と涙した。更に被害者が両親や子供に残したお金には相続税という税金がかかる。
被害者遺族にはその後一切の税金を免除し、更に加害少年から一定の金額を国が取り上げて被害者に配って然るべきだと思う。それでこそ僅かではあるが被害の弁償である。日本は戦争で命を失った兵士の遺族に対して今でも戦没者遺族年金を支払っているのだから、個人でも同じ事の要求は妥当だと思う。保険があるから加害者は一円の負担もない。それが保険だ、謝罪すら必要ない、というなら、それが間違いの根本だったのではないだろうか。