ずっと大切にして欲しい…人を思いやる気持ち 命を大切にする気持ち 私達の願いです
公益社団法人紀の国被害者支援センターK.N
「犯罪被害者の声 第18集」より
今から6年半前の12月14日晴れ
穏やかな一日の始まり
私と母は笑顔で朝を迎えた、「今日は暖かいね」「実家のリフォームを見に行こう」
同居している母を誘い、長年暮らしたリフォーム中の実家を見に 私は母を車に乗せハンドルを握りました。
まさか、悲惨な事故が私達の身に起きるとは想像もつかずに、実家まであと2 〜 3分の交差点、私達の幸せな人生が一変しました。
注意を怠り交通ルールを守らなかった高齢ドライバーに進路を妨害されると言う事故にあい「生きて欲しい」と祈り続けた願いは叶わず翌日12月15日、母は一筋の涙を流し息を引き取りました。
事故から18時間、母は弱っていく鼓動を、生きようと精一杯頑張りました。薄れていく意識の中で悔しい思いや、伝えたい思いでいっぱいだったと思います。
事故後急停止を余儀なくされた私達の車を横目に、一度も停止することなく逃走した加害者の車に、声をふりしぼり「あんな危ない車、捕まえて」と叫んだ母の声が今も耳にやきついています。
私は、変わり果てた姿の母を自宅に連れ帰り、母と過ごす最後の夜、母の姿さえ消えてしまう悲しみと恐怖で、別れの言葉をかけることさえ出来ず悪夢のような現実を受け入れられずに、泣き崩れる事しかできませんでした。
母は生前、人をとても大切に思いやる優しい人でした。
誠実で人に尽くし一日一日を大切に生きていました。
どんなに辛くても決して弱音を吐かず笑顔を忘れなかった優しくて強い人。
そんな母が最後に見せた一筋の涙…
どれだけ苦しい思いをして無念な思いだったかと思うと、むねがしめつけられます。
母は80歳になっていましたが、常に前向きで明るく子供や孫、友人に囲まれ残りの人生を楽しめるはずでした。
亡き父との約束どおり、家族に見守られ自宅で安らかに父の下に旅立つはずだったのです。そんな何ひとつ罪のない母が突然、加害者である「人」によって命を奪われてしまったのです。
人の行いによって命が奪われてしまう事ほど残酷で悲惨なことはありません。そんな悲しい交通事故で罪のない命が理不尽に奪われ、何千人、何万人と言う被害者そして遺族が苦しく不条理な現実に向き合わされています。
「事故」と言う言葉の陰で命を奪っても反省や、罪の意識すら薄い加害者やまともに謝罪すら受けていない被害者が社会にあふれています。
罪を犯しても命の重みや被害者の苦しみさえ理解されずに、済まされてしまう悲しい現実が被害者の立場になって見えて来ました。
交通事故だと「謝ると負け」認めたことになるとし、過失割合を主張するなど正直に罪を認めない悪質な加害者も少なくありません。
私達の場合も大切な母の命を奪われただけでなく、加害者からの責任を被害者に擦り付けるような悪質な嘘によりさらに傷つき苦しみは深いものになりました。事故後、加害者が近隣と言う事もあり加害者を見かける事があり、そのことについてもとても辛い思いでした。
すれ違う私達の前を何事もなかったように知らぬ顔で平然と通り過ぎる加害者の姿に衝撃を受け、その姿からは犯した罪の認識の薄さがはっきりと伝わってきました。
被害者にとって加害者を許すことは出来なくても、加害者が正直に罪と向き合い罪を悔い改め「申し訳ない」との気持ちが被害者に伝わることは重要です。その姿を感じとれることがあったのなら少しは救われたのではないかと思います。
奪ったものは取り返すことの出来ない「命」と言う重大な罪と向き合う姿勢が人としてなにより大切で、求められるのではないかと思いました。
大切な母の命を突然奪われ絶望の中、犯した罪をかるく受け止め 謝罪の気持すら一切伝えてこなかった加害者が、教育の現場で子供達を指導してきた人であったことを聞かされ驚きは隠せず言葉を失いました。
事故当時加害者が運転していた車は、以前から物損事故を繰り返していた様子が見て取れぶつけたあとやこすったあとで傷だらけの状態で運転の危険性を物語っており正しく、「起こすべくして、起こした事故」と感じ取れるものでした。
「安全に目を向けて運転を自粛してくれていれば母は命を失わずに済んだかもしれない・・・」そう思うと悔しくて、悔しくて、仕方ありません。
安全を優先することのない加害者は、重大な事故で母の命を奪った後も「運転が好き」「不便だ」と言う理由で運転をやめることなく刑事裁判までの間、凶器と化した車の運転を続け側にいる家族も加害者の運転を制止することはありませんでした。
余りにも軽率かつ不適切な行いは犯した罪の重さも命の重さも軽く考えている心の表れであり、裁判の中での「反省」は言葉だけの軽いものでしかありませんでした。
あり得ない加害者の対応は、これだけに終わりませんでした。
母の遺骨の前にお供えとして差し出された紅白熨斗の包みや、赤いリボンの赤い花など、お祝い事を連想させる一般的にはとても考えられない非常識きわまりない行いだったのです。
そして、何よりも衝撃で辛かったこと、それは母が犠牲になり命を奪われた日からたった半月後のお正月、加害者家族がおせちを囲み満面の笑みで新年のお祝いをしている様子を「家族そろって幸せ」とし、母の死を気にすることなくSNS に投稿したのです。
母が犠牲になりまだ10日余り、謝罪の言葉すら受けていない私達には、胸が張り裂けんばかりの耐え難いものでした。
母の苦しみや私達の苦しみを全く理解することもなく、母の命を軽く受け止めている身勝手な姿に余りにも理不尽で母が可哀そうで仕方ありませんでした。
大切な家族の命を突然奪われ壮絶な苦しみを抱える被害者遺族に対して誠意のない加害者の姿程、苦しみや悲しみが倍増するものはありません。
「保険会社に任せてある」はあくまで賠償の部分についてであり 罪を犯した当事者として、犠牲者に謝罪し心から詫びるのが人としての行いではないのかとあり得ない加害者の対応を目のあたりにして感じてきました。
私達はせめて母に申し訳なかったと心から償う気持を持って欲しいと、その思いを伝えましたがその思いが加害者に届く事はありませんでした。
事故だからと軽んじられる交通事故ですが大切な命を奪われてしまえば、殺人と同じ苦しみが伴います
生きる希望を奪われることは同じなのです
車が命を奪ったのではなく、車を運転していた「人」によって命が奪われてしまったのです。
刑事裁判で加害者は禁固一年執行猶予三年の判決になったものの不謹慎な行いや重ねた嘘を「誠意を尽くした」として加害者本人からの謝罪の申し出は今だ、一度もありません。
「償う」とは被害者の苦しみを理解してこそ、反省の心が生まれ 償いに繋がるのだと思います。
反省の心なくして償いなどありえないのです。
命を奪っても被害者に謝罪をしなければいけないと言う法律はありません。
謝罪の言葉も償いの気持も加害者にゆだねられており奪った命への「償い」は加害者の心の中にあるのです。
加害者が謝罪の気持すら一切伝えてこなかったことや、最後まで反省の態度を見せることがないままだったこともあり、母が可哀そうで仕方がないと言う思いが、私達の苦しみをより深いものにしてきました。
今年で母の命を失い7年の月日が過ぎようとしていますが、今日までの日々は苦しみ悲しみに向き合い続けた時間でしかありませんでした。
時が解決すると言う言葉がありますがそれは加害者だけではないでしょうか、被害者は時間がどれだけ過ぎても決して解決などしないのです。
母の人生を一変させたあの日、事故の瞬間、向き合った鬼の形相と化した加害者の顔や恐怖が目に浮かび、色濃く心にやきつき苦しみ、悲しみはつきません
母が生きることができなかった月日を何の反省もなく食事をとり風呂に入り家族と過ごしてきた加害者の事を考えると、正直とても複雑な心境になりました。
「もう過ぎたこと」と軽く言葉にする人もいるかもしれませんが、もし自身の身に起きたと考えたら同じ言葉がでてくるのでしょうか…
私は被害にあったことで複雑な思いを抱え日々葛藤の中で過ごしていました。
そんな絶望と苦しみの中、すがる思いでかけた「紀の国被害者支援センター」への一本の電話が、私達を暗闇から救って下さり前を向く大切な出会いになりました。今でも電話の向こうから聞こえてきた優しい声、暖かい言葉が忘れられません。
理不尽な思いに苦しむ私達に手を差し伸べ寄り添って下さった「紀の国被害者支援センター」の方やそのご縁で知り合った被害者遺族の方々、共に裁判を戦い事故に向き合ってくれた被害者支援に取り組んでおられる弁護士先生、いつもそばで励ましてくれる友人との出会いにつながり私達は前に進む希望がみえてきたのです。
悲惨な交通事故が身に起きたことで、人を傷つけ命が亡くなってさえも他者の命を軽くとらえ重大な事実を理解することなく罪を重ねた加害者の姿に苦しみ、被害者の無念な思いを知りました。その時間を通して母の死の意味を考えた時、母と同じ被害者がいなくなること以外に何もないと思いました。
加害者が私達に見せた不誠実で卑劣な行為を目のあたりにしたことで、いかに両親が正直で誠実な人だったか改めて感じた私は心から母の娘でよかったと両親に感謝しました。
私は交通事故がもたらす被害者が置かれる現状や、苦しい心情を正直にお伝えし啓発活動に参加しています。
被害者の現状を知って頂くことで命を大切に考えるきっかけになり罪のない命が不条理に奪われることのない社会の実現や、「交通事故を無くしていこう」と言う気持ちの広がりにより再発防止に少しでも繋がればと思っています。
車を運転するドライバーの皆さんには「ハンドルを握る=命を握る」と言う事を常に胸におき運転していただく事を忘れないで欲しいです。
人を思いやる気持ちや命を大切にする気持ちを決して忘れず大切にして欲しい・・・私達の願いです。
2024年5月14日命の大切さをお伝えする「生命のメッセージ展」国会開催に遺族の皆様とご一緒に参加させていただきました。
母の死を決して無駄にせず母の命を生かし母と共に命で描く未来に進んで行くことが、母の為に出来ることと改めて思う時間となりました。
最後になりましたが私達にご支援くださった「紀の国被害者支援センター」様や寄り添って下さいました皆様に、心より感謝申し上げます。
最後までお読みになって下さり有難うございました。