犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 30年の月日が流れて

30年の月日が流れて

公益社団法人千葉犯罪被害者支援センター
自助グループ「あおぞら」
H.I
「犯罪被害者の声 第18集」より

兄は、6歳上のたった1人のお兄ちゃんでした。身長1 7 8 ㎝、体重80㎏以上、格好はT シャツに帽子姿が多く、性格はユーモアがあって、創造性豊か、情熱的でもありました。何かやってくれそうと周囲に期待させる、不思議なオーラがありました。

兄は、喘息の影響でしんどい幼少期を過ごしました。何度も真夜中に病院に駆け込みました。呼吸も苦しく部屋にこもる日々でした。そんな兄に対して希望を与えたのが映画でした。ジョーズ、ゴーストバスターズ、ET、バックトゥザフューチャー、インディージョーンズ、風と共に去りぬ・・・たくさんの作品を観ては絵を描いていました。やがて映画は目標となりました。「老若男女問わず、誰しもが楽しめる、希望がもらえる、そんな映画をつくりたい」との思いを持ち、本場で極めたいと努力を重ねました。130㎏ほどあった体重もダイエットして80㎏くらいまで落としました。自分で学校を探し、両親を説得して、やっとのことで憧れのアメリカ留学を実現させました。
時折現地の寮から掛けてくる電話では、「授業は全て英語で理解するのが大変だし、課題を仕上げるのが夜遅くなることも少なくないけど、大好きな映画の勉強が出来て本当に楽しい。アメリカに来て良かった」など生き生きと語っていました。充実した留学生活を送っている様子がわかり、両親は「お兄ちゃんのそれまでの苦労が報われた」と喜んでいました。

それなのに、留学からわずか7か月あまりの1994年3月、突然2人組に銃撃され、19歳で道を断たれてしまいました。その日、兄は、友人とスーパーマーケットを訪れていました。買い物を終えて、兄が駐車場に停めていた車に乗ろうとすると、犯人は、いきなり兄を襲いました。兄を押し倒し、財布を取り上げ、銃を頭に突きつけました。兄は「撃たないで」と懇願したようです。しかし、犯人は、兄の頼みを聞くことはなく、後頭部の至近距離から拳銃を発砲しました。そして、もう1名の友人も射殺しました。

その日は、私が中1と中2の間の春休み、休日の朝でした。私が自宅の2階で寝ていると、何か叫びながら、バタバタと階段をかけあがってくる足音。ドアが開くと、母が「お兄ちゃんが撃たれた!」と叫びながら飛び込んできました。その日、父親はたまたま朝から外出しており、自宅には私と母の2人でした。外務省からの第一報から1時間も経過しないうちに、次から次へと自宅にマスコミが押し寄せました。ふらふらの母が求められるがまま兄の写真を提供していたのが印象に残っています。
ご近所の方が助けてくれるなどして、なんとかその日のうちに渡米し、兄が搬送された病院に向かいました。管で機械につながれている兄、目を開けない兄に対する父の「親不孝もんが!」という大きな声、母の「たっくんたっくん」というささやくような声、未だに焼き付いています。

事件そのものの衝撃や悲しみ、マスコミ・裁判対応、複雑な感情を抱えながらの日常生活など、たくさんの試練が訪れました。私は「兄にしても、苦労しながら大切に育ててきた両親にしても、少しくらい、それまでの苦難を乗り越えたご褒美があってもいいじゃないか。真面目に生きているだけなのに、なんでこのような仕打ちを受けなければならないのか。」と思うばかりでした。兄の事件により、それまで単純に信じていた、頑張れば報われる、という価値観は揺らぎました。そして、何か嬉しいことがあっても後に恐ろしいことが起きるのではないかと、常に恐怖感のようなものを抱えるようになりました。心には、常に何かが引っかかっている感じでした。また、兄の無念さなどに思いを馳せることもありますが、そのこと自体、何か失礼なような、兄にとって弟から想像などされるのは嫌なのではないか、などぐるぐると悩むこともありました。

事件から30年経過した今でも、こんな感じの消化しきれない思いがたくさんあります。月日が流れて自分も大人になるにつれ、見えてくるもの、理解できるものがある一方で、言葉に表現しきれない悩みや恐怖というのは払しょくできないところもあります。

私は、兄の事件を通じて法律や犯罪被害者に関わる仕事の重要さを実感しました。そこで、司法試験に挑戦し、2005年に出身地である千葉県で弁護士登録しました。以来、経験を活かしつつ、且つ、押し付けないように留意しつつ、被害者参加や意見陳述などの裁判対応を中心に犯罪被害者支援に取り組んでいます。また、犯罪被害者支援条例の制定の働きかけや、犯罪被害者の実情を知っていただくための活動にも力を注いでいます。
私の弁護士人生は、兄あってこそのものです。兄の犠牲の上で活動していることに、何か申し訳ないような、いつまでも一人前になれないような、そんな気持ちになることもありますが、自分にしかできない活動をして、犯罪被害者の方々が少しでも希望が持てるよう、引き続き尽力していきます。兄が志した創作活動とはだいぶ方向性が違いますが、私なりの方法で人様に希望を与えることができれば、兄はきっと自分を認めてくれるのではないかと信じています。

なお、千葉犯罪被害者支援センターのお力添えにより、千葉でも自助グループ「あおぞら」が誕生しました。皆様が再びあおぞらの温もりが感じられるよう、私も一緒に歩んでいければと思います。