「生きることをあきらめないで」~明るい光が見えると信じて一歩前へ~
公益社団法人おうみ犯罪被害者支援センター
匿 名
「犯罪被害者の声 第17集」より
恐怖の日々は突然始まった
私は性暴力犯罪被害者です。
私の家族は両親、母方の祖母、1つ上の兄、私、2つ下の弟の6人家族でした。幼少期~小学生になるまで、父親から数々の性的虐待を受けました。急に始まり小さかった私は、何が起こったかわからず、その行為が何を表すのか、自分にどれ程の影響をもたらすのか、どれ程心身共に傷がつくのか、全くわかっていませんでした。毎晩誰も居ない間を狙い、酷い時は周りに誰か居ても、こそこそ体を触られたり、陰部をさわらせたり、色々な事がありました。9歳位までありました。気づけば小学3年生位になっていた私は、嫌という感情が日々増していきました。
ある時、学校の保健の授業で初めて性について学びました。初めて、ありえない行為であり、それが当たり前かのようにあった事、周りには、そんな事がないのが普通と知り、本当にショックで泣けるほど傷つきました。父がどうしてそんな事をするのか本当に理解に苦しみ、どうして私は普通の人と同じように生きられないのかと思い、毎日必死で抵抗しては結局父の思い通りにされてしまう自分が情けなく、毎日泣き続け、死にたいとも思い、リスカしたりもした。本当に苦しい日々でした。むしろ、抵抗すればする程止むどころか、エスカレートする日々で、気がつけばもう自分なんか、どうにでもなれと思い始めていました。ありえない事と理解はしましたが、母にも祖母にも話せませんでした。
小さい子どもなりに考えました。相談した後の事を。家族がバラバラになったらとか自分なりに考え、誰にも言えず。相談した後が怖かったのもあります。
父も兄も消えてくれ
そんな事を色々考えていた時、父からの性虐待が急になくなりました。ほんとうによかったと安心した自分が甘かったのです……。次は兄から性暴力を受け始めました。それは、9歳~26歳まで続きました。幸い、弟からの被害がなかったのはよかったですが。
始まりは、ショックなんて言葉では表せない程苦痛で絶望しました。父の時とは比べられない程の性暴力の日々。父の時と同じく毎日必死に抵抗しましたが、力でも勝てず無理矢理される毎日で、酷いと寝込みも襲われて、恐怖で夜も眠れない日も続きました。
1日中気を張りつめないといけなくて、心身共にボロボロになっていました。正直、父、兄からされた事で、どこの家庭でもある事かと思っていたし、それか、ドラマの中の話って感じで。日々自分に起こっている事が理解できる日は来ず、自分が成長すると共にショックも大きくなっていき、もう気がつけば抵抗もしなくなっていた。抵抗する気力も何もかも失っていました。
どれくらいの時が過ぎたか、もう耐えられなくなり、兄に「母なり祖母なり、もう誰かに話す」と言いました。それを聞いた兄には……「言えば? 言っても止めないし、むしろ、父がやってたのに俺にやめろと誰が言える?」などと言われました。
本来、見本になるはずの親がやっていた事で、どこかで見られていたのか、俺もやっていいと兄は思っていたのです。兄の堂々とした態度もショックだったし、言葉も全てショックだった。逆に身内に話したら、父にも兄にもやられている事に気づかれて、また父も始まるかもと思えて、怖くて結局誰にも言えませんでした。
そして、6人で住んでいましたが、誰も兄の行動に気づく人はいませんでした。父がやっていたから、俺は注意されない。なぜそんな言葉が言えるのか、全て父親のせいで私は普通でいられないと思うと、いなくなれと毎日思っていました。「父も兄も消えろ」と願いながら生きていました。
心身ともにボロボロになった
そして中学生になり、私は保健の先生に勇気を出して初めて、父、兄にやられている話を打ち明けました。先生はすぐに学校に親を呼ぼうとしましたが、親は話にならないので、祖母を呼んで話をしてくれました。もちろん祖母は怒り、その日の夜、兄を呼び、部屋で兄は祖母からすごく怒られ、注意され、そこから数日なくなりましたが、すぐまた再開してしまいました。もう言葉も出ず、もう誰かに助けを求める事もあきらめてしまいました。心身共にボロボロになっていくだけの私。
大人になり、私は24歳で結婚し、家を出た事で初めて安心出来ると喜びました。でも兄から私への執着はすごかった。誰にも家のある場所は言ってないのに、待ちぶせされたりして、夫婦で住んでいる家もバレて来られたり。
被害が止む事はなかった。夫の仕事が毎日夜勤で、夜家に夫が居ない事も、兄は知っていたみたいです。夫が居ない時を狙う兄。もうどうしたら逃げられるかわからなかった。死ぬまでこの関係が続くんだと思いました。
SATOCOと出会う
26歳になり、私は離婚し、また実家生活を少しする事になった。帰ってからはまた、以前のように、もうルーティーンのように兄からされ続けた。そんなある日、私は新しい仕事をやり始めました。そこで、たまたま中学の時一度相談した保健の先生と再会しました。本当に嬉しかったです。再会した時に今一度、先生に被害が続いている事を相談しました。社会人になっても続いている事を。
聞いた先生はすぐに「ここに電話しなさい」とSATOCOの連絡先を教えてくれました。気がつけば兄からの被害は17年程、受けていました。長い月日だった。
不安もあったがSATOCOに電話し、SATOCOの拠点病院で念の為色々検査を受けました。結果、何も感染なしでほっとしました。その後、拠点病院で支援センターの方にも付きそって頂き、祖母も呼び、まだ、被害が続いている事実を今一度伝えました。祖母は受け入れられず、私も祖母も泣いていました。祖母なりに考え、今後二度と二人が合わないように考えてこれから行動するようにすると言ってくれました。
少しして私は再婚し、今は少し実家から離れた所に住んでいるので、兄と会う事はここ数年ありません。実家に行かないといけない時も、出来る限り一人で行かず夫に付きそってもらって行ったり、どうしても兄も来る時は、祖母が、兄が来る時間と私の行く時間をうまくずらしてくれたりしてくれています。
出来るだけ会わないよう自分も気をつけていますが、完全になくなったとは言えなくて、いつまた起こるかと不安は常に感じながら生活しています。いっても兄弟なので、いつ会うかと恐怖と隣り合わせと言うのもまた苦しいですが、今の生活がとりあえず長く続けば、と思いながら、父、兄からされた日々は苦しかったけど、今思うこと。
死ななくてよかった
勇気を出してSATOCOに相談し、センターの方々にも相談をして心からよかったと思います。あの苦痛の日々は消すことも出来ないし傷も消える事はないですが、過去があって今があり、人が体験していない事を経験した事でより人の心によりそえる人間になれたとも思っています。
何度か住居に来られた不安から、110番登録もしています。私は親、兄から被害があったせいか、人を信じられない、信じてはちょっとした事で「裏切られた」と思い絶望してしまう。そのせいで仕事も人間関係も苦しみ、長続きせず本当に苦労しました。今も100%なくなったとは言えませんが、あの苦痛だった時、死にたいと思っていた自分が居ましたが、今は夫やSATOCOのスタッフさん、センターの方々が居てくださり、長い月日だったけど、あの時死ななくて今生きていてよかったと思っています。
まだまだ私と同じ体験をしている方々がいる。少しでも多くの方が救われたらと心から願っております。勇気を出して相談してほしいと思います。被害の傷は消えないかもしれないし、回復には時間がかかるけれど、まず勇気を出して相談すれば未来は少しでも変えられる。明るい光が見えると信じて一歩前へ。
この文を読んでくださった方々へ。少しでも今被害にあっている方へ。
この文章を読み、少しでも誰かが一歩をふみ出す勇気になれば、後押しができればと思います。昨年、発達障害支援センターに行き、検査を受け、今は作業所で働いています。毎日いろんな事はあるけれど、頑張って少しずつ前に進んでいけたらと思っています。ゆくゆくは、一般就労にまた行って働けるよう、自立していけるよう、がんばろうと思っています。今後も、同じことが起こらないよう、自分も色々考え、常に気を許すことなくがんばって、再発防止に努めたいと思います。気をつけて行動していきたいと思います。
何度も言いますが、決してがまんせず、相談する勇気をもってください。相談する事をあきらめないで下さい。自分が安心出来る生活を送る為にも、勇気を出して。あなたは一人じゃない。助けを求めたら支えてくれて、きっと救ってくれる人たちに会えるはずだから。
---------------------------------------------------------------------------
OVSC 支援担当者 M・Y
生きていてくれてありがとう
Aさんに初めて会ったのは、2018年の5月でした。忘れもしません。場所はSATOCOの拠点病院。自分の身に今まで起きたことを機関銃のように話し続け、圧倒されたことを昨日のことのように思い出します。私の目にはA さんの全身から流れ落ちる血が見えました。「いつ自分で死んでもおかしくない」と感じました。
当時、どのように支援していけばいいか困って相談したカウンセラーの先生からは、「壮絶な人生を生きてきた相談者は、強くて賢い人であり、敬意を表したい。時間はかかっても、OVSCの支援をお願いしたい。相談者が病院に来て話をしてくれたこと自体が大変勇気が要る行為であり、支援につなげていくべきすごい出来事」という励ましをいただきました。
その先生も鬼籍に入られました。先生が遺された言葉を守ることができているかどうか、それから今まで約5年間、A さんとの付き合いは、途切れることなく続いています。月に1度、交わすようになった手紙も40通を越えました。発達障害者支援センター、病院、サポートステーションなど同行してきましたが、Aさんは苦労しながらも、自分の足で一歩一歩進んでおられます。
今回、A さんに寄稿をお願いしたところ、今まで見たことがない長文の原稿が返ってきました。きっと、何度も何度も一から書き直されたことと思います。今回、初めて知る内容も含まれていました。死なないでいてくれて本当によかった。過酷な運命にも負けずに、ここまで頑張ってこられたA さんに尊敬の念をいだきつつ、ほんの少しでも、A さんの助けになることができれば嬉しいと思っています。