犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 息子からの贈りもの

息子からの贈りもの

公益社団法人秋田被害者支援センター
T・O
「犯罪被害者の声 第14集」より

 3 月15日は二男の60回目の誕生日です。昨年は同期生といっしょに還暦のお祝いをしました。県警察本部の被害者支援の方々のお力添えと、各地の世話人の多大な協力で「犯罪被害者等の手記第4 集」を息子の同期生に配ることができました。
 昭和53年7 月、大学に入学して間もなく交通事故にあった息子。2 年後の成人式に恩師や友人知人にお願いをして、息子の思い出を書いていただきました。私は家に閉じこもって、いただいた玉稿と息子の日記や作文をまとめました。それが『青葉もゆ』上中下の三巻です。『青葉もゆ』ができたのは昭和60年でした。息子の恩師や友人知人に配りました。それがきっかけか、どうかわかりませんが、十三回忌に息子の友人が声を上げて同級会を開催してくださいました。恩師や同級生がたくさん集まって、みんなから一言ずつお話をいただきました。
 事故から40年余り、その後わたしが思ったとおり、あれより悪いことや辛いことは、ありませんでした。
 昨年3 月ひな飾りをしようとして腰椎圧迫骨折をしてしまいました。平成31年3 月から令和元年11月までの9 か月間、入院をはさんで寝たきりでした。身動きのできない中で過去90年のこと、現在のこの状態、そして人生百年時代の未来のことなど、じっくり考えました。人生の前半より後半の方が充実したように思います。事故当時、たくさんの方々から温かい慰めや励ましの言葉をいただき、人の情けが身にしみました。その中で「こんなに親を悲しませて息子さんって親不孝な子だね。」と言われました。その時は「えっ?」と絶句しましたが、あとで考えました。私がこうしていると息子は親不孝な子になってしまう。これではいけない…と。この言葉も私を助けてくれたありがたい一言でした。
 その後、悲しみのどん底から気持ちを切り替えて踏ん張りました。そして何よりも息子によって新しい友人知人が増えました。心を支えてくださった支援の方々、悲しみを共有する被害者のみなさん、みんなみんな大切な仲間です。
 息子と共に過ごした18年間、息子から直接間接に学んだこと、たくさんのエピソードが次々と溢れてきます。
 昭和53年6 月12日午後5 時14分、宮城県沖地震が発生しました。その時息子たちは、九州で行われる七帝戦に向けて卓球の練習をしていました。大学の寮に着いたころ電話をしてみましたが、話し中でした。その後何回も何回も電話をしましたが、話し中ばかりで繋がりませんでした。これは何かあったのではないかと気が気ではありませんでした。夜中にもかけました。明け方までまんじりともしないで受話器を握りしめていました。東の空が白々と明けるころ、やっとベルが鳴り響きました。開口一番「今まで何してらあた」とどなりました。「ごめん、ごめん。寮に電話1 つしかないもんで、上級生から順にかけて、おれ一番年下だから最後になってしまった。その代わりいっぱい話しっこするにえして、よかったべ」と言いました。わたしはしばし声が出ませんでした。「して、被害はなかったの」「あった。あった。コップひとつ割れて、箸ころがって1 本なくなった」「仕方がないね。じゃあコップ1 個と箸2 本買いな」と言って電話を切りました。すっかり目が覚めて安堵するやら、考えさせられるやら…一日中宮城県沖地震のニュースを見て過ごしました。
 これが、息子と話をした最後になりました。
 それから僅か2 週間後の7 月1 日の事故でした。事故のあった交差点をはじめ国道は、大型トラックが忙しげに走り回り2 週間前の地震を思わせるように、ざわついていました。
 後日、博多人形のおみやげと第四八回全日本大学対抗卓球大会於仙台七八・七・二八-三〇と記された「こけし」を持って卓球部の仲間が訪れてくださいました。
 寝たきりの9 か月も悪くなかったと思います。現在は幸せです。こちらにも世話をしてくれる家族をはじめ声をかけてくださる方々がたくさんいるし、あちらには私を待っている人がいるし、どちらにしても幸せです。
 それもこれも、みんなその時、その時に巡り合わせた周りの心温かい方々に恵まれたおかげと感謝しています。
 悲嘆のどん底にいるみなさん、気持ちを切り替えて、徐々に乗り切ってください。今後、これより悲しく辛いことはないのですから…。
そして、更にこの5 月にいい事がありました。孫からの最高のプレゼントひ孫が生まれました。
 40年前のあの時、死を思い直して長生きをしたおかげで、宝ものが授かりました。息子によく似た瞳で私を見つめてきます。私が話しかけると「あうー。あん。あうー。」と応ずるようになりました。
 これからは、このかわいいひ孫の成長を楽しみに1 日でも長く生きたいと思います。