命ある限り悔いなく!
公益社団法人ぎふ犯罪被害者支援センター
H・H
「犯罪被害者の声第10集より」
3年前の4月9日の朝、私は、身体に障がい者を持つ妻をデイサービスに送り出して部屋に戻り、片付けなどをしておりました。チャイムが鳴りましたので玄関を開けると、集合住宅の同じ階に住む男が来ていました。その人は、それまでたびたび金銭や食べ物の無心に来ており、この日も「お願いがある」とのこと。当時私は自治会長をしていたため相談を受けるのも私の仕事の1つだったのです。4月とはいえ外は肌寒いので部屋に招き入れると、男は私の後ろからついて部屋に入ってきました。
突然、右背中に大変な衝撃が走った時は、「なんだ、これは!」という思いだけでした。男に包丁で刺されたことを理解すると、精いっぱい抵抗し何とか外に逃げることができ、助けを求める声を出しました。男が逃走するのを見て部屋に戻りましたが、部屋の中は血の海。
鏡に映った顔面蒼白の自分の姿を見て「死ぬ」と思いました。なぜ僕なのか!! もう死ぬのか? と思いつつ意識が遠のきました。その時、救急の方が来て下さいました。
ドクターへリで大学病院に運ばれた時は、出血性ショックで心肺停止状態。懸命の蘇生により命は助かりましたが、右腎、胆のう、肝臓の30% を摘出し、腸閉塞や敗血症、腸内炎などなど合併症で、半年間の入院となりました。入院中にドクターや看護師、病院職員の皆さん、入院患者さんとも仲良くなり、“ 病棟の主” になるほど長い病院暮らしでした。今も、通院していろいろ治療していますが、ケガの後遺症も軽く、穏やかに前向きに暮らしています。お世話になった皆様に少しでも恩返しができればと考えています。
脳卒中の後遺症で長年重度障がい者だった妻が、病気のため今年3月10日に亡くなりました。被害に遭うまでは、在宅で私が介護していましたが、事件以降3年間は施設に入らざるを得ず、きっと淋しい思いをしたと思います。私は妻を介護することを楽しみにしており、最後まで自宅で過ごさせてあげられなかったことが残念です。平成元年12月に43歳で倒れてから享年71歳、永い不幸な人生でした。いまは楽になっていると思いたいです。
支援センターの皆さんに初めて会ったのは、病院に見舞いに来て下さったときです。お話を聞きながら、本当に親身にして下さるのを感じ、段々と心を開き、前向きになって行く自分がありました。本当に心の支えになった時期でした。今でもよく思い出します。
退院後の引っ越しや裁判の手伝い、検察庁などへの付き添い、医療費の手続き、後遺障害の手続き等々、一人ではとてもできないことでした。アドバイス、送迎など、本当に感謝でいっぱいです。
初めは裁判に参加するつもりは毛頭もありませんでした。加害者の裁きは、裁判所におまかせするつもりで意見陳述の依頼も断りました。
けれど家族の思いを考えると、加害者に被害の怒りや苦しみを伝えたほうがいいと、少しずつ考えが変わり被害者参加を決めたのです。加害者の姿を見たくなかったので衝立を立ててもらいました。
裁判時、新聞記者・テレビカメラ等、傍聴人より多い報道陣の数には驚きました。裁判所から出た後もマスコミ各社からコメントを求められ、当時は後遺症で身体も大変だったため負担が大きかったことを思い出します。それでも、私が緊張もなく裁判に向かえたのは、支援センターの皆さんのおかげでした。また、加害者に強盗殺人未遂懲役18年という思いもしない判決も出て驚きました。
いまは市営住宅で一人住まいですが、友人・知人が入れ替わり立ち替わり訪れ、時にビールなど持ち寄り楽しく暮らしております。兄弟5人も健在で困ったときに何かと力になってくれました。
犯罪被害者は私一人ではなく、もっと大変な思いをされた方がたくさんおられることと思います。被害者のために本当にきめ細やかな支援をして下さる支援センターの皆さんにアッパレです。私も今年9月で76歳になります。残り少ない人生ですが、一人でも、明るく幸せな人生をと願い、集合住宅の管理人を引き受けて頑張って行きます。本当に、本当に、感謝の気持ちです。ありがとう!!