娘へ
公益社団法人くまもと被害者支援センター
自助グループ「さくらの会」
H・A
「犯罪被害者の声第11集より」
仏壇の横には、主を失った高校の制服が飾ってあります。被せられたビニール袋の透明さは、少しくすみ始めていますが、白いブラウスは入学当時のあの娘の心のように真っ白に輝いています。親の反対を押し切って合格した学校だっただけに、教科書販売の日は、友達の名を呼びながら大きく手を振り、満面の笑顔で体育館の中を走り回っていました。
あの笑顔が見られなくなって、もう三年過ぎてしまった事が、今でも信じられません。あの娘は本当に何の前触れもなく、この世から姿を消してしまいました。いつものように「いってきます」と家を出て行ったことが、つい昨日の事のように思い出されます。それがこの世で聞いた最期の言葉でした。忘れもしない五月四日、日曜日、私は娘に、どんな事が起きているかも知らずに仕事をしておりました。
夕方家へ帰り、夕食の支度をして、娘の帰りを待ちましたが、八時を過ぎても帰ってきません。心配になり長女と警察へ相談に行き、捜索願を出しました。今にして思えば私や長女が心配し慌て始めた頃には、もうあの娘はこの世にはいなかったのです。どこにでもいるような、おしゃれに関心のある一七歳の女の子は、誰も来ない寂しい山の中に置き去りにされ、朽ちる事が、あの娘の運命だったのでしょうか。この日から私達家族にとって、長い戦いが始まるとは想像もしておりませんでした。
警察からは何日かおきに、今までの経過を聞かれますが、こちらは進捗状況がまったくわからず、ただ焦りと不安で、娘のために何もできないわが身を責める毎日でした。そんな中、地元の新聞に「女子高校生が行方不明」と報道され、翌日からは報道関係者が、自宅に集まるからと聞き、自宅を後にしました。そして六月に入りやっと娘は発見されましたが、変わり果てた姿になっていることを聞き、子供たちと叫びながら泣き崩れた事を覚えています。
「女子高校生が出会い系サイトで殺害」と一部報道されたようですが、あんな親思いで優しかった娘がそんな事をするはずがないというのが、親の正直な思いでした。買い物に行っても自分の欲しい物をねだる事もなく、私が興味ある物を手に持つと、「お父さん欲しかとなら買うたい」と声をかけてくれた娘。「お父さんはよか」と言うと、「買えばよかったのに、なんで買わんやったと」と自分のことのように残念がっておりました。欲しい物があっても、何一つねだる事もなく、我慢していた娘の気持ちを知りながら、買ってあげる事もできなかった。何一つ親らしい事もしないで、あの日もいつもと同じように、何も気づかずに送り出してしまった父さんをどうか許してほしい。頭を下げて娘に詫びたい。犯人を憎み恨む気持ちより、後悔とわが身を責める毎日です。
しかしそんな娘に対し、ネット上で「知らない男について行く方が悪い。犯人だけを責められない」と書かれた事もありました。しかしそれは、「そんな人を信用するな」と教えてこなかった親の過ちであります。あの娘に何一つ落ち度はありません。
やっと一年後に出た判決は、求刑二十三年に対し、実刑十八年というものでした。犯人は控訴し、取り下げた後、拘置所内で自殺しました。その事実を警察で聞き、どうやって自宅まで帰ったのかもまったく覚えておりません。しかし正直「ざまあみろ」とか「清々する」と言った気持ちは全く起きませんでした。確かに私は裁判の意見陳述の中で、「犯人を死刑にしてほしい」と述べました。当時十七歳だった娘は、これから長い人生の中で、愛する人と出会い自分の夢を追うという、人並みの幸せを求めるぐらいの事は許されたはずです。その人生に、耐え難い恐怖と苦しみを与え奪ったのですから、「たった」としか言わざるを得ない判決でした。しかし十八年という実刑判決が出た以上、私は犯人に生きて罪を償ってほしかった。
意見陳述をする前に、犯人の供述調書を読む機会を得ました。まず娘が犯人に出会うきっっかけになったのは、自殺系サイトであった事が分かりました。親の前では明るく振る舞っていた娘に、自殺したいと思うほどの何かがあったのか、不安に駆られながら読むと、娘は死にたがっていた訳でもなく、犯人が「死にたい」と言っていた言葉を信じ、「死んだら駄目」と必死に止めていたと書かれていました。助けたがっていた娘の気持ちを思うと、生きて刑に服する事が、娘の思いに報いる事ではなかったかと思います。
裁判中に、何一つ真実を語らず、娘の純粋な思いを二度も三度も踏みにじった犯人の頬を、思い切り平手で殴ってやりたかった。音を立てるほどに自分の手が赤く腫れれば腫れるほどに、犯人が感じたであろう痛みを、この身で確と確かめたかった。今でもそう思っています。
罪を償う事もなく卑怯にも自殺した事で、この事件は社会的には終わり、忘れ去られていく事でしょう。しかし家族の悲しみが決して消えることはありません。そんな私達に寄り添い支えてきてくださった、「くまもと被害者支援センター」の皆様には本当に感謝しております。裁判まで共に戦ってくださったというのが正直な気持ちです。私には事件当時から「娘の名誉を回復してやりたい」という願いがありました。その願いを具体化して頂いたのも支援センターの皆さんのお陰です。講演や手記の掲載、そして何より多くの方々との出会いを私にくださいました。
この悲しみは決して消えることはありません。しかし色々な方々との出会いの中で、皆さんお一人お一人が、娘のことを思っていて下さる。そう思うと不思議に娘の笑い声が聞こえてくるようになりました。それにテレビを見ていると、これは娘が私に語り掛けているのかもしれないと思う事が増えてきました。あの娘の気持ちが、考えが伝わってくるのです。近くに娘を感じる事ができるのです。娘が私の側にいる事を証明する術は何もありませんが、血を分けた大切な娘を感じる事ができるのです。
事件当時、「そんなに悲しんでおられたら天国にいる娘さんも心配されますよ」と声を掛けて下さる方もいらっしゃいましたが、その当時は到底受け入れる事ができませんでした。
でもある日娘が「オーストラリアに行ってくる」と夢に出てきたと、親戚の者から聞きました。なんともあの娘らしいと思いました。
もうあの娘はとっくに親離れして、天国で楽しく暮らしているようです。親である私が泣いていては、あの娘は悲しむ。今度天国であった時に「お父さん頑張ったね。ありがとう」と娘に褒めてもらえるように、そして大切なわが子を亡くし悲しむ親が一人でも減るように、娘の事件の事を伝えていきたいと思っています。
ネット犯罪に巻き込まれ、若い大切な命が失われないように。それは卑怯にも自殺してしまった犯人に対し、私にできる唯一の復讐だと思っています。
Mへ
お前のお気に入りだった、洋服はちゃんとタンスに直してあるよ。
すぐに学校に行けるように教科書も、友達からもらった大切な手紙も、とってあるからね。
おまえの帰りを父さんは待っています。
怒らないから早く帰っておいで。