犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 意見陳述書(準強制わいせつ)〜ステップファミリーの後悔を支えられて〜

意見陳述書(準強制わいせつ)〜ステップファミリーの後悔を支えられて〜

公益社団法人ぎふ犯罪被害者支援センター
匿  名
「犯罪被害者の声 第18集」より

娘は、男の子二人の母親だった私にとって初めての女の子で、お腹にいる時から大切に大切に育ててきました。幼少期からとても活発で、病気をすることもなく、とても元気にすくすく育っていました。お兄ちゃんの影響もあり、幼稚園からバスケットボールを始めましたが、バスケットボールが大好きで今通っている高校でも部活を一生懸命頑張っていました。
私と被告人が再婚したのは、娘が小学校5年生になった年ですが、小学校5年生の途中から3歳や4歳の子がするようなかんしゃくをよく起こすようになり、手が付けられなくなることがよくあり、6年生になっても続きました。
中学生に入り少し落ち着いていた様に見えましたが、進路を考え始める2年生頃から「ばぁばの家から通える高校にしたい」と言ってみたり、バスケットボールが強い寮のある高校に行くことを強く望んだり、 3年生になっても決めなければいけないぎりぎりまで家を出ることを強く希望していました。家族に説得され自宅から近い高校を選びましたが、高校に入学してからは心因性難聴になり苦しみました。
一度、被告人と娘が二人きりで車に乗らなければいけない場面がありましたが、娘が嫌がり被告人に思いっきり平手打ちをされました。
摂食障害のような食べても吐いてしまう、食べられなくなるといった症状に苦しみ、病院で検査しても分からず、過呼吸になり何度も何度も救急車で運ばれ、最後には意識消失するようになってしまいました。意識消失後は、血圧計・点滴を極度に嫌がり無意識に外そうとしたり、誰かに触られると狂ったように暴れるようになりました。今思えば、これらのことは全て被告人から受けていたわいせつ行為のせいではないかと思っています。
実際、今回の事件で被告人と離れ、今の生活になってから娘は一度も意識消失していません。食べた後に吐くこともありません。あんなに意識消失を繰り返し苦しんでいたのに、それがなくなったということは、わいせつ行為による苦痛としか思えません。
原因を見つけるために病院を転々とし、入退院を繰り返し、遠い所では静岡まで行き、入院のため一人で置いて来ました。あの時、見送りについてきた被告人が、娘がかわいそうと涙を流しましたが、何の涙でどんな思いで流したのでしょうか?これだけの体調不良を繰り返す娘をずっと見てきて、心配するふりだったとしか私には思えません。
私が病気で入退院を繰り返している間ずっと都合が良かったですか?「子ども達のことは心配しなくても良いから」と私に言ってくれましたよね。私が4年前から病気になり、痛くて家のことすらまともに出来なくなって動けなくなったら心配してくれていましたが、この事実を被告人・娘・私の3人で話し認めた後に、私に何と言ったか覚えていますか?これには訳があって、私が病気になってから相手をしてくれなくなったからと言いましたね。そんな言い訳して恥ずかしくないですか?
娘の意識がないからバレないと思いましたか?そう思ったなら意識がない事の心配より自分の欲を優先したと言うことです。意識がないほうが都合が良かったということは、エスカレートすれば娘の命も危なかったと思うと怖くて仕方ありません。
娘は、今まともに学校に通えていません。家族と一緒じゃないと外出もできません。男性が怖くて、近づいて来るだけで涙が溢れて動悸がします。朝、私が起こす時も身体に触れて起こすとびっくりします。夜も不安で怖くてぐっすり眠れないようです。夢を持って入りたかった大学もあったのに、男性がいるというだけで通えるだろうかとすごく悩んでいます。被告人は娘の人生を無茶苦茶にしました。私は、再婚したことを悔やんでいます。
娘の7年間を返して下さい。私ではなく、娘目当てだったのではと思うくらいです。普通に楽しく生活できるように娘を戻して下さい。
私もお兄ちゃんたちも、ずっと気付いてあげられなかったことを責め続けています。悔やんでも悔やんでも悔やみきれません。これまで娘が味わってきた恐怖、これから一生続く苦しみと恐怖、消えない傷よりもっともっと苦しんで生きていってほしいです。
変な言い訳や小さい嘘ももうやめて心から反省して下さい。自分がしてきた罪の重さを知って下さい。私は重い重い処罰を求めます。

ステップファミリーの後悔を支えられて

事件発覚後からずっと落ち込み、私が再婚なんかしなければと自分を責め続けているのを、犯罪被害者支援センターの方々が支え続けて下さいました。娘のことはもちろん、兄たちや私たち被害者家族に寄り添い、起訴・不起訴、裁判など右も左もわからない私たちをずっとサポートして下さいました。わからないことがあるたびに説明して下さり、励まして下さいました。
何度も何度も心が折れそうになりましたが、支えていただき一審で求刑通りの判決が出ました。被告人は控訴し、私は「反省していないのか」と控訴に対して憤りも感じましたが、支援センターの方々が今でも支え続けて下さっています。
支援センターの方々の支えなしでは、私たち家族だけでやってこれなかったと思います。まだ終わりは見えていませんが、支えていただいているので、最後まで娘のためにも闘いたいと思います。