Category Archives: 平成26年度版しおり

平成26年度版しおり

私たちはこうして救われた

201402card公益社団法人被害者サポートセンターおかやま

加 藤 裕 司

 

 犯罪被害者の家族の思いをどう伝えるべきか悩みましたが、起きた事件、その時に私たちが何を感じていたのか、そして今何を思っているのか、ありのままに書き綴りました。

平成23年9月30日(金)

 こんなことが起きるなんて……まったく予感も予想も働かなかった。娘はいつも私と相前後して帰ってくるため、毎日習慣のように妻に、「みさくんは?」と尋ねることにしていた。「まだよ。 今`日はヨガ教室があるから遅いよ。」の返事に少しがっかりしながら着替えに寝室のある2階に上がったことを覚えている。
 その日は、仕事の関係で帰りが遅くなっていたのでとっくに娘は
帰っているものと思っていた。まさか、この時すでに娘が住田絃一
に殺されているなんて想像もできなかった。

10月1日(土)

 娘が何らかの事故か事件に巻き込まれたのじゃないかと思ったのは、土曜日の夕刻になっても帰ってこなかったからだ。どんなに帰りが遅くなっても、必ずメールか電話で返事をしてくる娘だったし、黙ったままで何の達絡もしないなんて考えられなかった。 read more »

平成26年度版しおり

守る

201404cardぎふ犯罪被害者支援センター

匿   名

 

 私の娘は同じ犯人に何度も強姦されました。私は苦しむ娘を早く助けてあげることができませんでした。今でも後悔の毎日です。
いつしか娘は口数が減り思いつめた表情が見られる様になりました。
 「おかしい」と思い「何かあったの?」と聞いても何もないと言うばかり。何ヶ月か過ぎても娘に笑顔は戻ってきません。何かあると確信し話してくれるまでと思い娘に聞きました。しかし何もないとしか言いません。それでも「お願いだからウソはつかないで、絶対守るから」と話しつづけやっと口を開いてくれました。事実は私の想像をこえるものでした。とても悪質で卑劣な行為を娘はくり返しうけていました。
 地獄の様な日々を耐えてきたのです。犯人は何も知らない純粋な娘を抵抗できない様に脅し何度も強姦してきました。娘は怯えながらも精一杯に嫌だと言っていました。それなのに怖がる娘に強姦したのです。
 そのうえ写真まで撮っていたのです。未成年の娘はどれだけ怖く苦しかったか・・・
 でも娘は自分が話せば周りは大変な事になる、迷惑をかけてしまう。お父さん、お母さんが悲しむ、苦しむ姿を見たくない、自分が我慢すればいい、そんな思いで地獄の様な日々に耐えてきたのです。私たちや周りを傷つけたくない一心で何も話さなかったのです。
本当は「助けて 怖いよ 苦しいよ」と言いたかったはずなのに。 read more »

平成26年度版しおり

「事故ではなく 事件です」と言ってもらえて

201401card特定非営利活動法人おうみ犯罪被害者支援センター

匿       名

 

 20O7年 5月5日に事故は起きました。

前日

 娘は、ずっと前から6人の友達と一緒に、その遊薗地に行くのをとても楽しみにしていました。デジカメを買い、レンターカーを予約して、娘が運転するというので私は「事故だけは気をつけてや」と言いました。
 娘たちは前日からうちの家に泊まり、朝早く出かけて行きました。出かける時の楽しそうな声が聞こえていましたが、私はわざわざ起きて見送ることはしませんでした。

事故に巻き込まれた!?

 夕方5時半のニュースで「遊園地で事故があり20才くらいの人が
亡くなった」と。
 姉はすぐ電話をかけました。かけたのは娘の携帯電話なのに、友達が出て「巻き込まれた。それぞれ違う病院に行ったのでわからない」と言うのです。
 『どうもまきこまれたらしい』 『でもどこからも連絡はない』 read more »

平成26年度版しおり

公共交通事故被害者支援

201403card公益社団法人被害者支援センターすてっぷぐんま

梁 田 知 代 子

 

 最近、大きな事件や交通事故のニュースを見る度に、被害者本人はもとより家族がこれから起こる様々な出来事に巻き込まれ、戸惑いもがき、苦しみ、泣き続けるのかと思い、大変心が痛みます。
被害者としての体験をしている私は、吸い込まれるようにあの日の自分に戻ります。
 連絡を受け事故現場や病院へ駆けつける時の家族の気持ち、大怪我をし痛み苦しむ家族の姿、失うもの、戦うこと・・・当時の自分と重なり、辛かった事や、恐怖と絶望感が思い出され、涙が出てきます。
 2012年4月29日早朝、当時高校3年生だった私の息子は、高速ツアーバスに乗車し、バスの運転手の居眠りが原因で、大けがを負わされました。在学していた石川県内の全寮制の私立高校から、茨城県の実家へ帰省するために利用した高速深夜バスでした。
 このバスの運行に関わったのは多数の会社でしたが、事故後は責任を互いになすりつけ合い、ほとんどが補償もせずに逃げていきました。
 運転手は「病気があった」などと主張し、長く裁判で争いました。事故当時の朝、救急隊員からの電話で息子の怪我を知り、群馬県高崎市内の病院へ駆けつけた私は、その日からホテルに滞在しながら息子の看病をすることになりました。友も親戚もいない初めての地、高崎で「被害者」として過ごした日々は、とても辛く大変でした。 read more »