被害者が望むこと

~被害者のために動く行政であって欲しい~

匿     名

 私の長女は通り魔に襲われ瀕死の重傷を負わされました。
 それまで、私は事件や事故についてテレビや新聞等で、その内容を知るだけでしたが、実際に自分が被害者家族という立場になるまで、被害者の置かれている状況や向き合っている現実がこんなに厳しいものとは想像もできませんでした。
 私の長女は、平成18年9月の深夜、会社の勤務を終え帰宅の途についていたところ、札幌市内の自宅付近の路上において、突然知らない男に刃物で切りつけられ、頭や背中、右肩及び前腕部等に大けがを負わされ、入院62日間の生活を余儀なくされ、治療は全治1年を超える長期に及ぶものでした。
 事件から2か月後、やっと犯人は逮捕され長女はもちろん、家族、町内の方、地域みんなで安堵しました。  逮捕後、犯人は動機について「被害者と面識はなかったが、ムシャクシャしていたので一人歩きの女性を狙った」と全く身勝手な理由を聞き及び、愕然とするとともに、込み上げる怒りから震えが止まりませんでした。
 発生当初から犯人が検挙されるまでの間、「娘の命さえ助かればそれでいい」という思いと「何故、何故?どうしてうちの娘なの?」という答えの出ない疑問、そして「私が迎えに行かなかったから、あの時こうだったから。被害に遭ったのだ」という自責の念を繰り返す日々でした。
 また、犯人が逮捕されるまでの間は、まだ近くに犯人が潜んでいるかもしれないという恐怖に苛まれ、夫の不在時には、リビングに布団を並べ川の字になって子供と眠り、被害に遭っていない長女以外の我が子は必ず自分が守らなければならないという強い使命感が沸き上がりました。
 しかし、事件後も経済的に引っ越すことが出来ず、我が子の安全を守るためには、私自身が娘達の迎えをしたいと考え、当時は、自動車の運転免許を持っておりませんでしたので、自動車学校に通いながら、長女の看病へと向かう日々は、精神的にも肉体的にもボロボロの状態でした。
 一番近くにいる家族でありながら、それぞれに抱える悩みや思いを推し量ることができず、ストレートにそれぞれの気持ちをぶつけ合い過ぎてしまい、一時は家族の気持ちがバラバラになり、孤立するような状態にも陥りました。
 当時は、それぞれが家族を思っていたはずなのに、家族全員が事件のことで傷つき、もがき苦しみ、「わかってもらえない、どうしてわからないの?」という気持ちが交錯していました。互い違いになった家族間の絆が再び1本になり、それぞれの立場で抱える傷や思いを理解しあえるようになるには、随分時間を要したように思います。今振り返ると、一番近い家族を最も遠くに感じた辛い時期でもあったと思います。
 そんな最中、事件二日後のことになりますが、町内会の催しものが事件により中止となった旨の回覧板が回って来たのです。中止を知らせる文書を見て、私達のせいで催しものが中止になったと責められているように感じてしまいました。
 また、自宅前の道路のアスファルトには長女の血液が奥まで染みこんでしまった状態で、私自身、道路を見るたびに長女の身体の痛々しい傷を思い出しました。自責の念にかられることから、何度も何度も血痕を擦り、水で流したのですが、血痕は消えませんでした。その内、住民の方から「そろそろ、あれをどうにかしませんか」と道路に残る長女の血痕を消して欲しいという要望を持ちかけられた際、私はその言葉に深く傷つきました。
 自分自身も消す努力をしているのにと、当時は追い打ちを掛けられるような気持ちになりました。
 一方で、私を励ましてくれた近所の方もいらっしゃいました。
 アスファルトの血痕を気にする私どもに対し、事件現場の住人の方からは、「気にしなくていいのよ」と優しく声を掛けてくださったりもしました。
 擦っても、洗っても、消えることのない血痕をどうしたらいいのか、私は事件を担当してくれた女性警察官に聞いてみると、舗装は塗らなければ消えないことを知り、「被害者なのにアスファルトの補修までをしなくてはならないのだろうか」と、途方に暮れておりました。そこで、業者に聞こうと思った矢先、夫を通じ、この件について話しを聞いてくださった方が、行政の担当者に話しをしてくれ、道路自体が古いということも手伝い、道の一部ではなく通り全体を改修してくれ、本当に助かりました。
 事件後に私たち被害者が受けた支援についてですが、最初は警察によるものでした。
 担当の女性警察官から、病院の付き添いを受けたほか、今後の刑事手続、捜査の進捗状況、犯罪被害給付制度や、その他生活について様々な情報をいただきました。
 また、その女性警察官に私や次女、三女が心療内科を受診したいとの相談をしたところ、民間被害者支援団体である「社団法人北海道家庭生活総合カウンセリングセンター」を紹介してくださいました。そのお陰で、カウンセリング相談等の支援を受け、誰にも打ち明けられない心の葛藤を聞いてもらい、心の冷静さを保つことができました。
 そして、長女の会社の方には、公的な保障等を調べていただくなど、自分達だけでは知り得ない多くの情報をいただきました。
 今後の犯罪被害者支援で望むことについてですが、家族間や自己の精神面においては、第三者の介入や支援を望まないようなデリケートな場面もあります。  しかし、経済面や社会面においては自己の努力では限界があり、他者、地域、社会全体の支援がなければ、元の生活を取り戻すことが厳しい現状があります。
 長女は、帰宅途中の薄暗い路上で犯罪被害に遭っておりますが、事件後も新興住宅の開発が進んでいる中、道路の照度は変わっていません。
 事件後、行政等の窓口の方が事件発生の時間帯に一度でも訪れていただき、道路を見ていただければ道路の暗さや、血痕の付いたままの道路に気がついてもらえたのではないでしょうか。
 その一方、犯人は、事件後、逮捕されれば刑務所等の中で、食事、健康等が守られます。
 しかし、何の面識もない犯人により傷つけられた被害者は、犯人が捕まるまで誰かもわからない人との関係を疑われ、心ないうわさに傷つき、落ち度があったのではないのかと揶揄されることもあります。
 他にも医療費はもちろん、看護にかかる経済的な負担、時間的拘束など表面には出ない様々な負担を強いられます。
 被害者個々によって、その内容は異なると思いますので、大きな枠で捉えていただき、行政での担当窓口のようなものにより、柔軟に対応していただければいいと思います。
 犯罪被害に遭うとそれまでの生活から、多くのことが一変します。
 被害者本人である長女は、身体の体調不良は全快には至っておらず、私自身も事件による心労から現在も通院を余儀なくされており、私達は事件に遭ったあの日から現在もまだ戦いが続いています。
 また、被害者である長女にとって、何より辛かったのは、もう二度と戻らない貴重な青年期の時間を奪われたことではないかと思います。
 退院後、何とか復職を果たしたものの、事件を知らない同僚が長女の腕に残る傷を見て「リストカットしてるの?」と聞いてきたそうです。
 母親として、お腹を痛めた我が子に傷が付いているのを目にすることは、大変辛いものがあります。
 しかし、当時者である長女は事件後も、様々な場面で犯罪被害に遭ったことを背負って生きていかなければなりません。
 事件後、被害について長女は多くを語ろうとはしません。
 ですが、日常会話等から時折感じる長女の痛みを少しでも推し量り、ただ側で支えることしかできませんが、長女の拠り所としていつも見守っていきたいと思います。
 他の誰もが長女や私達家族のような辛い経験をしなくていいように、加害者にも被害者にもならない社会になることを祈ります。