人間としての尊厳

社団法人被害者サポートセンターおかやま 自助グループ「もえぎいろの会」

佐 藤 恵 子

 何げのない日々、ささやかな暮らしの中で僅わずかな幸福感を感じながら私達は生きている。あの日まで、私はそんな暮らしだった。
 だが突然、何の前ぶれもなく事件や事故は襲いかかってくる。秋葉原事件や八王子事件はあまりに痛ましい。
 時を選ばず、人を選ばず、どれほど人望ある人も、花の未来がある人も、使命を持った人も、積み上げ築いたものを木っ端ぱ微塵に打ち砕かれてしまう。 そして残された遺族達は絶望を突きつけられる。こんな情け容赦のない国なのでしょうか日本は…!
 平成16年4月20日  私は我が命より大事な一人息子を失なった。この日が息子の生命を奪われる日になるとは予想もできないことだった。
 事故は朝の出勤時に発生。家を出て30分と経たぬものだった。事故の報を受け病院に駆けつけた。だがすでに息子の息は無かった。これは現実じゃーない。きっと夢の中なんだと。息子は処置室の寝台の上で寝息をたてているように安眠していた。長年の睡眠不足を補うかのようにいびきまで聞えそうだった。後のち、聴かされた凄惨な事故の報告と息子の寝顔とは一致しないものだった。  しかし後に残された私は絶望の淵を一人さ迷いながらも、加害者たちと対峙をしなくてはならなかった。
 事情聴取・検察庁聴取・起訴・裁判へと続いていくのだが、裁判に至るまで11ヶ月もかかった。何故、こんなにも時間がかかったのか誰からの説明もなかった。
 息子の居ない埋めようもない心の喪失感は飢餓状態だった。だが周囲の人間は“頑張れ”という。いったい何を頑張るのだ…。息もたえだえの私にどうしろというのだ…。怒りしか湧いてこない…。いつしか私は親しい友人たちを悉く遠ざけていった。わずらわしかったのだ。そして人を信じることができなくなった。
 遺族会に入る機会ができた。そこで同じ境遇というか大切な家族を失なった悲しさ苦しさを分かち合った。ここであらゆる事例を聴かせてもらった。
 交通事故の扱いが頻繁に発生するという事も相まってか極めて簡略的に処理されているということ。死亡事故であっても略式起訴の罰金刑で済まされていたり。初動捜査の不手際で被害者に過失ありと調書を作られたり。遺族は家族を失った苦しみと闘いながら、亡くなった者の“無念”を晴らしたいと東奔西走するのに、裁かれなければならない人間を保護するような処理の仕方があってよいのか!と。他人との話を聴いて憤慨する事も多々あった。
 亡くなった者は“そうではない!”という反論の口が無いのだ。そして残された遺族も真実が知りたいのに、真実が聴けないもどかしさに苦しみ抜く。  長年、苦しみと苛立ちの集大成として遺族会は、車搭載のカメラとドライブレコーダーの推進・奨励を行なっている。拡大の輪と義務化の実現へと願ってやまない。
 息子を死に至らしめた加害者は夥しい交通法規違反歴を持っていた。調書を見た時2ページにわたって違反歴が列挙されていた。とても運転免許を所有し、車を可動するに値しない者だったのだ。息子を殺し、刑に服しても15ヶ月で出所してきた。4年間の免許取得停止期間が過ぎれば、再び免許を取りに行くという。3度目だ。又、犠牲者が出るだろう。目に見えている。こういう輩をそのまま野放しにしているのが今の日本の現状である。
 昨年末頃、犯罪被害者支援団体VSCOにめぐり会った。世の中を斜目に見て、余り人を信じずいた私だが、VSCOに参加するようになり何かしら変化を感じるようになった。砂漠のように渇いていた心に甘露の水が注がれたようで潤いを感じる。染み込むという感じなのだ。
 自助グループは支援相談員の方々がしっかりとガードを作って下さっている。これが私には何より安心感がある。  胸の中に押し留めていた事を吐き出すと、その後に栄養補給のようなアドバイスがある。今は2ヶ月に一度の集まりだが、私にとって貴重な心の栄養補給の時間である。人から遠ざかっていた私が再び人の情けに触れた。
 そして今、私は民事裁判を闘っている。その法廷に駆けつけて下さるお二人がいる。VSCOの支援相談員のお二人である。私はこのお二人を心から敬愛してやまない。本当に父母にも勝る心の支援をして頂いている。  “ありがとうございます”とこの面において申しあげたい。
 息子がめぐり会わせてくれたVSCO。その皆さんと心を合わせ一緒に歩ませて頂きたいと、ひとえに思うものです。
 そして「人の命の大切さ」「人の心の大切さ」を語り広げて行ければと願ってやみません。
 大輔、見守っていて下さい!  貴方の意志は必ず引き継いでゆきますから。