奪われた「夢」

和氣みち子

 「行ってきま~す。」私達家族が最後に聞いた娘(由佳)の声でした。
 あれから7年が経とうとしていますが「ただいま~。」の声は聞くことができません。平成12年(2000年)7月31日午後7時頃、真夏の非常に暑い日、病院での老人介護の仕事を終え、家族の待つ自宅に帰る途中、栃木県さくら市蒲須坂の国道4号線で、泥酔した飲酒・居眠運転の大型トラックに正面衝突され命を奪われました。
 人生の希望に燃えていた、わずか19歳と8ヶ月でした。
 朝、元気に出て行った由佳が、病院のベッドの上に傷だらけで横たわり、冷たくなっていくら呼んでも返事をしてくれません。未だにその姿が瞼に焼き付き忘れることはできないのです。この時から、人ごとと思っていた「犯罪被害者」になり、一生、被害者をやめることができなくなりました。やめることができたらどんなに幸せでしょうか。  加害者は、仕事中に立ち寄った西那須野のドライブインで、別車両で来ていた同僚と、ビール大瓶4本ずつ飲み干し、5分ほど仮眠しただけで運転をはじめた。18キロ以上も公道を蛇行運転で走り続け、同僚が「危ないから止まれ、止まれ」と警告しましたが、「大丈夫、大丈夫」意に介さず走り続けました。そのうち仮眠状態に陥り、ガードレールに車体をぶつけ目が覚め、あわててハンドルを右に切ったため対向車線を走ってきた由佳と車をめちゃくちゃにつぶし民家に突っ込んでようやく止まりました。大型トラックを鉄の塊の凶器に換え公道を走る行為は無差別殺人同等だと思いますが、判決はたった「3年6月」。命の重みを反映していません。
 老人介護の仕事を熱心にこなし、彼との将来の「夢」に向かって生きていました。私達も将来を楽しみにしていました。そんな「夢」を奪った悪質きわまりない行為は許すことはできません。飲酒運転撲滅に向け由佳の「声」をずっと伝え続けることが、供養だと思っています。「こんな辛い思い、誰にもさせたくはない…」
 私が、専門の被害者支援が必要と感じた時は、自分自身が生きているだけで精一杯の時期に、17歳の息子も姉の死を受け入れられずにいました。重なるように専門学校での悩み、進路の相談等で悩み苦しんでいました。息子の話を開いてあげることさえできない自分が情けなく、申し訳ない気持ちで一杯でした。そういうときにセンターがあれば相談していました。刑事裁判中にも法律相談が必要でしたので、弁護士会館に行きましたが、十分な時間と回答がいただけず、未だに悔しさを引きずっています。法律相談は、被害にあってから早い時期に適切な相談が必要であると痛感いたしました。
 私が被害者になったときには、栃木県のセンターは設立されていませんでしたので、お世話になることができませんでしたが、今は、業務開始をし、軌道に乗ってきたように思います。特に毎月第一土曜日に開催している自助グループメンバーとの交流は、私にとって同じ痛みを持った同士が気兼ねなく交流がもてる場になっています。こういう場が被害者の被害回復になることをご理解ください。
 また、加害者がいなければ被害者は生まれませんので、安全で安心な社会づくりも考えてみてほしいと願っています。