「犯罪被害者」という名の社会的弱者

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公益社団法人被害者支援センターとちぎ

小 佐 々 寛 子

 市役所の職員であった父は日本で稀にみる行政対象暴力事件の犠牲者となりました。
 事件は平成13年10月31日夕刻、父は自転車で帰宅途中に実行犯である暴力団関係者の男3名に車で拉致され、そのまま帰らぬ人となってしまいました。実行犯は父を長時間車に監禁し、その後絞殺し、留めは拳銃一発で群馬県内の山中に遺棄したと供述しました。
 事件発生から10年経過した今でも父は発見に至っていません。未だ父を助け出すことができなく申し訳ない気持ちです。
 事件の加害者は全員で5名、年齢は父と同じくらいの人間ばかりで驚きました。首謀者である産業廃棄物処理業者の男は逮捕状が出ていたにもかかわらず自殺体で発見、もう1人は収監後、獄中で病死しました。現在生き残っている加害者は、懲役17年と18年の2名と無期懲役の1名です。父の命を奪っておきながらいまだに「刑務所」という安全で安心できる場所で生きているのかと思うと、はらわたが煮えくりかえる気持ちでいっぱいです。
 事件の背景は、長年にわたって首謀者の男と市役所の一部の人間との間に癒着があったことと、それを見て見ぬふりをしてきた組織に原因があります。父は組織の中で孤立無援の状態になりながらも首謀者の男に対し、法令に基づいて厳正に対処をしていました。その父の法令を順守した正しい職務が首謀者を暴力行為へと導いたのです。私は、事件を通して正しい行為が否定される土壌があったことに対しての怒りと、あと10年早く暴力団排除条例が施行されていればと様々な思いが交錯します。  父は金が欲しいからとの理由だけで、首謀者から殺害実行依頼を受け、父の名前もろくに知らない男3名に連れ去られ、どれだけの恐怖と無念だったでしょうか。どうして、金になるからと簡単に人の命を奪えるのか理解に苦しみます。しかも私の父の命を奪った「報酬金」は、加害者の会社の従業員への滞りがちな給料になり、孫の小遣いに使用したと供述した者までいることが明らかになりました。裁判では、加害者の男に対し「自分の親に対して私の父と同じことをされたらどうしますか」という裁判長の言葉に、「同じことをやり返します」と述べた者もいました。そのように思うのであればなぜ暴力行為に及ぶのでしょうか。普通の常識であれば、そこまでしてもお金が欲しいとは思いません。
 刑事裁判は首謀者の男が自殺したため「死人に口なし」の状態で、責任のなすり合いばかりで非常に見苦しく怒りと憎い気持ちばかりでした。どの加害者も父や私たち家族に対して反省や謝罪の言葉など微塵もなく、ただただ裁判官に対し「優等生な被告人」を演じて憤りを感じました。前科歴が多い加害者たちは「裁判慣れ」していて被害者家族の私よりも裁判に通じていたため非常に腹が立ち、できるものならこの場で復讐してやりたいという気持ちに駆られました。
 当時の刑事裁判は被害者支援が乏しく、地方裁判所へは自分の車で行き、裁判を傍聴した後に職場に遅れて出勤していました。さらに高等裁判所に行く際には自費で東京に通いました。加害者が複数のため、裁判が終了するまでに相当の時間を要しました。つらい時間が長期にわたってもなお、仕事を毎日当たり前のようにしなければならない現実がありました。
 犯罪被害者になっても人と変わらない普通の生活を強いられ、刑事裁判で父を殺めた加害者の顔を見てその足で職場に行きました。職場では「犯罪被害者」だからという理由で特別な配慮はありません。父を亡くしたつらさや裁判での疲労も理由になりません。精神的疲労に陥っても長期休暇はもらえませんでした。どんなにつらくても事件前と同じように出勤して、同じ量の仕事を続けなければなりません。業績が落ちれば、私の責任でなくても叱責され、仕事時間の短縮も受け入れてもらうことは困難でした。
 誰も好きで「犯罪被害者」になったわけではありません。仕事をしていれば裁判はすべて傍聴できません。すべて傍聴することになれば昇給や解雇にもかかわってきます。そのくらい、日本の社会は犯罪被害者にとって生きづらいのです。会社勤めをしていた私は、裁判が進むにつれ非常に精神のバランスを崩していきました。事件がなければ通院することもなかった医療費も負担し、車の運転をしていても事故を起こすのではないかと恐怖でした。当然のように仕事を続けることは困難になりました。  「犯罪被害者」にとって、社会と関わりあうことは非常に困難です。加害者と対比してもなぜ就労問題や病気の治療費まで自分の責任で解決しなければ生きていけないのでしょうか。
 被害者支援は10年前よりも、非常に進歩したと思います。しかしながら、裁判の付き添い、相談等だけではまだまだ解決できない問題が山積みです。原因は社会全体が当事者意識に欠けているからではないでしょうか。いつ犯罪被害者になるのかだれもわかりません。
 残念ながら、被害者支援に携わる方々のような考えを社会全体の人々が共有していないのが現実です。たとえ犯罪被害者になってしまったとしても、社会全体が被害者を守る、安心して生活できる最低限の保障をすべきだと思います。なぜなら犯罪被害者は生涯苦しみ続けるからです。犯罪被害者に終わりはないのです。苦しみの波はありますが、大切な命を奪われた現実は変わりません。
 加害者は有期刑になれば「刑務所」という安全な場所で生活できます。一方、私たち犯罪被害者は裁判が終了すれば「犯罪被害者に対する無理解・無関心の社会」に放り出されます。すべて自己の力で生きなければいけないのです。理解ある社会や会社ばかりではありません。むしろ加害者以外にも「無理解な社会」という敵に立ち向かわなければならなくなるのです。
 日本の犯罪被害者に対しての保障は非常にもろいものです。当事者になって初めて社会の矛盾に気づきます。社会は犯罪被害者に対してあまりにも無頓着で無関心です。そのことで犯罪被害者は何度も苦しむことになるのです。「犯罪被害者」になっても事件前に限りなく近い最低限度の生活の保障を国がおこなうべきだと思います。しかし、残念ながら当事者にならないとわからないから日本は犯罪被害者に対して冷酷なのです。
 どうすれば犯罪被害者になっても安心・安定した生活ができるでしょうか。だれか教えてください。